平安時代末期の頃の郡司・知覧忠信が城を築いたと言われる。
室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となった。
その後、島津氏の内訌に伴い一時伊集院頼久一族の配下となったが、1420年、島津久豊が伊集院一族からこの城を取り返し、再び佐多氏の居城となり、多少の異動はあったものの、幕末まで知覧領主であった。
11代当主・佐多久達の時に知覧城は原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令前に知覧城は廃城となる。
知覧特攻平和会館からは知覧武家屋敷(街)の方に下る途中にあるので、特攻観音→知覧城→武家屋敷と廻るのが楽ですが、道が分かり難いので詳しい地図が必要。
地図は南が上なので要注意。
地図8⃣の大大刀洗分校跡付近が知覧城です。
今城と弓場城、本丸と倉ノ城が組で防衛する構造
火山灰が作ったシラス台地を利用した壮大な城郭で、大きな谷を深く掘って空堀として利用。
樹木が茂って眺望は良くないが、城(郭)の切り立った断崖は高い。
空堀道は、さらに7m深かったというから驚きの高さ。
倉ノ城の登り口
倉ノ城には掘立建物跡
本丸の登城口
広大な本丸には土塁も良好に残る。
トップの石碑写真は本丸
弓場城
今城
知覧武家屋敷へ下りますが、意外と遠かった。(徒歩20分+20分)
2018年5月22日(火)登城



















