鹿児島駅付近の上町や春日町には縄文時代から人が住みつき、中世以来の島津氏ゆかりの地です。
島津初代、惟宗忠久(これむねただひさ)は、源頼朝から南九州の「島津庄」の役人に命じられ(1185)島津氏を名乗る。
南北朝時代に北朝方の島津氏は南朝方の東福寺城を攻め、5代貞久から拠点とし勢力を広げる(1345)
稲荷川と反対側も切り立つ海岸の要害の東福寺城(多賀山公園)
麓が祇園之洲公園
鹿児島城(鶴丸城)に本拠地を移すまでは、稲荷川河口は海の玄関口で、幕末には砲台が置かれた。
甲突川にかかっていた五石橋を移築保存している。
高麗橋
玉江橋
岩永三五郎が最初に多連アーチの石橋を築いたのが、この河口付近の栄安橋。
西鹿児島駅が現在の中心地、鹿児島中央駅。
JR のトンネルは城山で、手前が鶴丸城。
東福寺城(多賀山公園)への登り口