多門城(たもんじょう)奈良市 | 投資 播種 目を出せ! 植木屋のブログ

投資 播種 目を出せ! 植木屋のブログ

☆☆☆ 投資も 農業も
目が出るか? 出ないか? が勝負だす!! ☆☆☆  趣味の自給自足

1559年(永禄2)筒井順慶を破った松永久秀が大和攻略の拠点として4階櫓をもつ近世城郭の発祥とも言われる城を築いた。 
標高115mのこの山は、かつて眉間寺山と称したが、
久秀はこれを多門山と改称し、城を多門城と称した。
信仰する信貴山の多聞天(毘沙門天)にちなむという。

 

現在は市立若草中学校となっており、遺構は残っておらず、地形から想像するのみ。

石段の脇には出土した無念仏などの石柱が安置したあった。

 

校舎とグランドを遮る谷は大堀切と言われる

 

三好三人衆と松永秀久(三好家臣)との戦で、焼失した東大寺も目と鼻の先。

畿内を中心に、最大勢力を持っていた三好家も、

三好長慶(ながよし)死後の3年の内紛で勢力が衰え、後には信長に蹴散らされ三好政権は崩壊する。

 

 

麓の若草公民館には多聞城の資料も展示されている。

 

多くの城址に築かれている「多門櫓(たもんやぐら)」はこの城が元祖。

信長の安土城のモデルともいわれる先進思想の城だったようです。

2018年3月15日登城