石山本願寺推定地
大阪城の南側の二ノ丸。現在、大阪市立修道館がある一帯ですが、その修道館に隣接する空き地に石碑と解説板が設置されています。
大阪城の南側は高く、内堀も南側は空堀となっている。
二の丸東側の「蓮如上人笠懸の松」
織田信長が十年の歳月をかけても攻めあぐねた巨大な要害だが、その後の複雑な歴史も相まって当時の遺構は何一つ残ってはいないが、今の大阪城内で唯一、蓮如上人にゆかりがあるとされるのが、この石碑裏に残る松の根なのである(伝承)
雁木坂
本丸の外側、二の丸は南から北に向かって下がっており、江戸時代には長い雁木(階段)の通路だった。
青屋門(あおやもん)
大阪城の4っの門の一つだが、東北の鬼門にあたり、あまり使用されなかったので簡素な枡形。
戦災で焼失、昭和44年再建
極楽橋
本丸北端の山里丸と二の丸を結ぶ全長54mの橋。
現在の極楽橋は徳川大坂城再建の折に架橋された橋が、明治維新の戊辰戦争で焼失し、その後、昭和40年(1965)に再建されたもの。
京橋口
京橋口枡形の巨石「肥後石」
城内で2番目の巨石で加藤肥後守清正が運んだと伝わる