大阪城②千貫櫓 内部公開 | 投資 播種 目を出せ! 植木屋のブログ

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多門櫓(たもんやぐら)と千貫櫓(せんがんやぐら)は土塀で繋がっている。

 

千貫櫓とは、信長が石山本願寺を攻めた時に、この付近に難攻不落の櫓があり「落とした者には千貫文を与えても惜しくない」と話した事から名が付いた。

その後も、この付近の大手を守る重要な櫓は千貫櫓と呼ばれる。

通路より、多門櫓の城内側を見る

手斧がけされた床の模様がきれいです。

大手門の土橋

逆の乾櫓方面

西の丸、大坂城代屋敷跡でもある。

本丸とは内堀で隔てられている

 

乾櫓(いぬいやぐら)

西の丸の西北角に立つ二層の角櫓。「乾(いぬい)」とは西北を指す戌亥(いぬい)からこの名で呼ばれることになった。

元和六年(1920)、徳川幕府の大坂城再建工事の第一期に建造された櫓であり、大阪城内では千貫櫓とともに最も古い建造物である。

定期的な内部公開は無いが、イベント開催に合わせて数回公開された。

 

乾櫓石垣から西外堀

 

外堀からの乾櫓