多門櫓(たもんやぐら)と千貫櫓(せんがんやぐら)は土塀で繋がっている。
千貫櫓とは、信長が石山本願寺を攻めた時に、この付近に難攻不落の櫓があり「落とした者には千貫文を与えても惜しくない」と話した事から名が付いた。
通路より、多門櫓の城内側を見る
手斧がけされた床の模様がきれいです。
大手門の土橋
逆の乾櫓方面
西の丸、大坂城代屋敷跡でもある。
本丸とは内堀で隔てられている
乾櫓(いぬいやぐら)
西の丸の西北角に立つ二層の角櫓。「乾(いぬい)」とは西北を指す戌亥(いぬい)からこの名で呼ばれることになった。
元和六年(1920)、徳川幕府の大坂城再建工事の第一期に建造された櫓であり、大阪城内では千貫櫓とともに最も古い建造物である。
定期的な内部公開は無いが、イベント開催に合わせて数回公開された。
乾櫓石垣から西外堀
外堀からの乾櫓