戦国時代までは大仏城、杉妻城、杉目城などと呼ばれた。
応永20年(1413)伊達持宗が大仏城に立てこもり、関東公方 足利持氏に背いたと記録があり、
戦国時代末まで伊達氏の居城。
江戸時代は福島藩の藩庁。
現在、福島県庁が立地している一帯が城跡である。
平城ではあるが、城の東方と南方は阿武隈川や荒川が流れており、天然の要害として外堀の役割を果たしていた。
福島城: 密語橋口(ささやきばしぐち)
福島城南側の外曲輪に存在した出入口のことで見附番所が置かれた。
江戸時代、密語橋口の両詰には密語橋通り沿いに武家屋敷が立ち並んでいた。
民話「王老杉伝説(おろすぎでんせつ)」で舞台になった「密語橋(ささやきばし)」
大杉には体も立派で顔立ちも凛々しい男性の姿をした精が登場し女子を惹きつけていたと伝えられ、密語橋を渡った人には美男、縁結びのご利益があると言われている。
明治30年(1897)内堀を埋めて第二尋常小学校を建設。
当時の写真には内堀土塁と松並木が写っています。
現在は第一小学校
福島県庁西庁舎南側の土塁
杉妻(すぎのめ)稲荷神社
杉妻城(福島城)の艮(うしとら:東北)の守りとして西向きに建っていた。
大佛城趾出土 宝塔
円筒形の塔身に梵字で阿弥陀如来を現し、弘安6年(1283)と刻まれています。
この宝塔は墓の代わりに建てられたもので、杉妻寺(すぎのめでら)を城とした杉妻寺大佛城の名の起こりを示す重要な文化財。
蒲生氏や上杉氏の支城であった福島城は、元禄15年(1702)板倉氏が信濃から移封され幕末まで12代167年間続く。
「板倉神社」藩祖である板倉重昌(寛永15年(1638)島原の乱で討死)が祀られている。
境内には「印塚」
長年愛用した印章に感謝し、霊を慰める供養所
大仏橋からの遠景。
中央が板倉神社及び紅葉山公園(二の丸御外庭)
弁天山より