岩槻藩の藩庁。江戸時代以前には岩付城、岩附城。
荒川(現在の元荒川)の台地を利用した平城。また珍しい総曲輪型城郭の縄張りが施されていた。
総曲輪=総構え:城の他に城下町も含め、掘りや土塁・石垣で囲む城郭構造
岩槻城 黒門

扇谷上杉持朝とその家臣太田道真・太田道灌父子により、江戸城・河越城とともに築かれたとされていた。
1478年(文明10年)に古河公方方の忍城主成田顕泰の父成田自耕斎正等が築城したと記述の発見により成田氏築城説もあるという。
最近、成田氏築城説の根拠となった史料について、新たな解釈が示され、太田氏築城説と成田氏築城説が並立している状態であるという。
現在の城址公園は、南の「新曲輪」になり、沼に浮かんだ本丸・二の丸・三の丸などは、埋め立てられ市街地になっている。

新曲輪から西に進と三の丸の温水プール

当時はこんな様子だったのでしょう。

岩槻八景「鵜首夕照(うのくびゆうしょう)
大手門に通じる鵜の首の様な道
時の鐘

寛文11年(1671)、城主阿部正春の命令で鋳造され 、城内や城下の人々に時を知らせていました。
愛宕神社

岩槻城の「大構え」の上に建っている。
多くは失われ現在では貴重な遺構。
芳林寺太田道灌騎馬武者像


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八つ橋

障子堀は埋め戻してある




土橋、馬出し有ったと思われる

白鶴城址碑
