肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあり、
豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」に際し築かれた。
日本100名城(87番)に選定された。

秀吉の死後、大陸進攻が中止されたために城は廃城となったと考えられており、建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わる。
石垣も江戸時代の島原の乱の後に一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却され、現在は部分が残る。
歴史上人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況が復元保存されている。

大手口

本丸 多聞櫓跡はコンクリートで遺構保護されています。


本丸

天守台



本丸より遊撃丸をのぞむ

右が「松島」、松島の左にうっすらと見えるのが「壱岐」、そのさらに左の三角形△の「対馬」は今日は見えない。
左手の島は「馬渡島」



二の丸
合坂(あいさか)石垣を上り下りするための階段

搦手(裏口)の石垣

