古代水洗厠舎跡(秋田城址) | 投資 播種 目を出せ! 植木屋のブログ

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秋田城からは類例のない立派な奈良時代の水洗トイレ遺構が発見されています。
このトイレの沈殿槽内の土からは、ブタ食で感染する寄生虫の卵(有鉤条虫卵)が大量に発見され、
当時の日本にはない豚食を習慣とする大陸からの人々が訪れていたと思われ、
ブタの飼育が盛んな「渤海人」たちである可能性が高いと言えます。
秋田城は大陸との外交窓口として、迎賓館のような施設だったのかもしれません。









秋田城址の復元模型(上が西方向で日本海、右の島に見えるのは男鹿半島)

城壁に囲まれた中央付近の四角い場所が「政庁」

城壁の下方の城門が「外郭 東門」
東門の下の沼のほとりに「古代の水洗トイレ」や古代の迎賓館と思われる施設
上方、左に見える河口が土崎港(現 秋田港)



二百年間もの長期に渡って使節往来をした「渤海国」とは?
渤海建国の直接的要因の一つが、満州の大国・高句麗(こうくり)の滅亡。
満州族-後の金・清を建てたツングース系北方民族が主体の、高句麗は百済(くだら)を滅ぼし強大化した新羅(しらぎ)と、東アジアの「盟主」唐の挟撃にあい、668年滅亡しました。

高句麗の遺民は、武装蜂起し国を再建しないように、各地に分散させられましたが、696年、モンゴル系契丹人・李尽忠、ツングース系靺鞨人・乞四比羽らと共に、高句麗王族・乞々仲象(乞四比羽同様、原音は不明)も唐に対して反旗を翻し、建国したのが、「大震国」-後の「渤海国」。
8~9世紀に朝鮮北部から中国東北部にかけての日本海岸に栄えたツングース系の国家。
唐の文化を取り入れ、仏教文化が栄えており、唐では渤海を「海東の盛国」と呼んでいたという。

907年、唐の滅亡。
926年、渤海国は耶律阿保機の率いる契丹(きったん)に滅ぼされる。
(契丹による破壊が徹底的だったので、歴史記録が遺っておらず「知られざる国・忘れられたら国」とされている)


唐の滅亡と五代十国の争乱をうけてアジアは激動している。

朝鮮では新羅が滅亡し、936年に高麗が成立。
雲南では937年に大理が成立。
ベトナムでは939年に呉権が中国から自立。
937年には契丹が遼と称する。

そのような時期、日本では承平・天慶の乱(935~941年)が起こっている。「平将門の乱」

古代城柵 秋田城の終焉