金沢城(後編) | 投資 播種 目を出せ! 植木屋のブログ

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極楽橋


二の丸と本丸に架かる橋。
極楽橋の名は「金沢御堂」に由来すると言われる。

本願寺別院「金沢御堂」(本丸付近)
大阪本願寺より派遣された指導者達が集い、周辺の大名間の争いが激化すると、
御堂陥落(1580)まで、一向一揆の中心となる。

御堂のあったと思われる本丸



三十軒長家


鉄門 石垣

切石積が美しい



戌亥櫓跡(北西)
出窓がついた2層櫓だったが、宝暦(1759)の大火で焼失。





辰巳櫓跡(東南)
長家を備えた立派な櫓だったが、宝暦の大火焼失


左は兼六園



丑寅櫓跡(東北)
櫓を支える石垣は文禄(1592)と推定され、金沢城最古の石垣。
櫓は宝暦の大火で焼失


正面が兼六園


丑寅櫓跡を支える野面積石垣。




鶴丸倉庫
藩政時代に築かれた(1848)武具土蔵。



明治から大正期に、旧陸軍が建設したレンガトンネル




石川門
金沢城の搦手門(裏門)で、宝暦の大火で焼失するも、1788年に再建。








百間堀

現在は道路だが、以前はスゴいお堀です。


昔の掘りの底から


下段は、いもり堀埋め立ての際、土取りの削られた崖面を保護するため、旧陸軍が積んだ石垣。
石材を斜めに落とし込む「谷積み」の技法です。



鯉喉(りこう)櫓台





申酉櫓下の石垣

左は寛永(1630年頃)、右は慶長(1600年頃)

「粗加工石積み」は慶長(右側)。
左側は加工が進み、刻印も多く見られる、継ぎ足された寛永の石垣。



玉泉院丸庭園


庭園 正面の「色紙短冊積み」の石垣

金沢らしい雅な石垣です。


数寄屋石垣


側室達の住まいのあったところ。



土橋門


六角形の亀甲石、は水に親しむ亀を表し、防火の願いが込められています。



金沢「ひがし茶屋街」に近い
「金沢城 惣構(そうがまえ)跡」