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落語を見に行くというのは

その人の落語を聞きたくて足を運ぶ訳で

その人自身が商売道具という点においては

娼婦にも似ていると思う。



という訳で、今週は2人のオトコを買いに行き

合計9人の落語を拝聴した。


アルパチーノみたいにダンディーな方もいれば

ブルドーザーみたいに凶暴に迫りくる方もいる。

女性の落語家も初めて拝見した。

落語家てのは、本当にいろんな方がいる。


面白いと言われている落語家は

たいていにおいてダメな匂いがする。

高座の上では崇高な光を放っていても

高座を降りたらたぶん飲んだくれだったり

女たらしだったりするのだろう。


ダメじゃなきゃ醸し出せない味があり

クズだからこそ人の愚かさを理解でき

それゆえに大衆に共感される笑いに転換できる。


そして根っからのクズじゃ落語はできない。

人気落語家はどなたにも確固たる哲学がある。

落語とは何か。笑いとは何か。

明確な思想を抱きながら、全身全霊でその一席に向かう。



生死をかけた真剣勝負を

それこそ死ぬまで毎日続ける。

なんて凄い人たちなんだろ。


落語っていったい何なんだ。




落語研究をはじめて1か月。

もちろん落語の知識なぞ浅いのだけれども

枕を聞いて「あ、あれやるんだな」と

事前にわかったりする瞬間が幾度か訪れるようになった。



これが罠だね、落語の罠だ。

この世界は、わかってきてからが泥沼なんだ。




皆様にご忠告。

この道は足を踏み入れないのが賢明でございます。