行き詰まりは有難い | 22toshikazu369のブログ

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私達は人生において常に何かを行ってきました。

 

その中で失敗したり、逃げたり、迷ったり、行き詰まったことがあるはずです。

 

出来ることなら失敗などしたくありません。

 

出来ることなら逃げたくありません。

 

出来ることなら迷ったり行き詰まることなく、順調でありたいです。

 

私もかつてはこのように思っていたので、何かを行うことが恐くて仕方ありませんでした。

 

なぜ恐くなるのかというと私はそれらを悪と決めつけ、自分を裁いていたからです。

 

自分にとって自分の判断は絶対です。

 

故に他人もそう思っていると勝手に思い込み、他人からも裁かれていたんです。

 

私の場合、裁きの程度が尋常でなかったため、人の目が凄く恐かったのを覚えています。

 

ですが今、客観的にこう言えるのは失敗したり、逃げたり、迷ったり、行き詰まった経験があったからです。

 

仮にこのような経験がなかったとしたら、私は本気で自身を省みようとしなかったでしょう。

 

そして真理や仕組み、意味を知ろうともしなかったでしょう。

 

神は必要な体験を与えると言われます。

 

失敗する、恥をかく、悩み苦しむ、落ち込むなど一見、嫌なことに見えますが貴重な気づきを与えてくれる機会でもあります。

 

人は平穏無事に生きていると考えることも、努力することも忘れてしまうものです。

 

だから良くないことが起こった時ほど感謝しなければなりません。

 

良いことが起こった時も感謝。

 

平穏無事でいる時も感謝。

 

一切に感謝です。

 

以下は日月神示の一文です。

 

 

日月神示

【春の巻 10帖】

同じこと繰り返しているように、人民には、世界が見えるであろうなれど、一段ずつ進んでいるのであるぞ。

木でも草でも同様ぞ。

前の春と今年の春とは、同じであって違って居ろうがな。

行き詰まりがありがたいのぢゃ。

進んでいるからこそ、行き当たり行き詰まるのぢゃ。

省る時与えられるのぢゃ。

悟りの時与えられるのぢゃ。

ものは、放すからこそ掴めるのぢゃ。

固く握って戸閉めていてはならんのう。

扉あけておけと申してあろうが。

着物脱いで裸体となることつらいであろうなれど、脱がねば新しい着物きられんぞ。

裸になってぶつかれよ。

神様も裸になってそなたを抱いて下さるぞよ。

重い石乗せたタクアンはうまいのであるぞ。

 

 

【黒鉄の巻 2帖】

一切に向かって涙せよ。

懺悔せよ。

一切を受け入れ、一切を感謝せよ。

一切が自分であるぞ。

一切が喜びであるぞ。

 

 

【春の巻 36帖】

何事に向かってもまず感謝せよ。

ありがたいと思え。

始めはマネごとでもよいぞ。

結構と思え。

幸と思え。

そこに神の力加わるぞ。

道は感謝からぞ。

不足申せば不足うつるぞ。

心のままとくどう申してあろうが。

病気でないと思え。

弥栄と思え。

病治るモト生まれるぞ。

キが元ぞ。

何事くるとも何クソと思え。

神の力加わるぞ。

恐れは恐れ生むぞと申してあろうが。

一聞いて十悟らねばならんぞ。

今の人民には何事も平面的に説かねばわからんし、平面的では立体のこと、次元の違うことはわからんし、肚で悟りて下されよと申してあろう。