この世界には終わりがありません。
人類が滅亡しようが、地球がなくなろうが世界はあり続けます。
ここで考えてみましょう。
生まれてからずっと自分も、周りも、一切の何もかもが何の変化もなくあり続けるとしたらどう思いますか?
ほとんどの方が生きていることに何の意味も感じられないでしょう。
ですが神が与えるものには必ず理由があります。
では生きていて良かったと思えるのはどんな時でしょうか?
嬉しい、楽しいなどの喜びを感じた時ではないでしょうか。
喜びを発展的、かつ継続的に味わいたいと願うのが人間です。
神とは歓喜、弥栄です。
嬉しい、楽しいという歓喜。
発展的、継続的である弥栄。
この2つが神が与えた理由だと私は感じています。
最初にこの世界に終わりがないと言ったのは世界は常に弥栄しているからです。
弥栄している故に永遠の未完成なため終わりがないんです。
これは喜びは無限大ということを意味します。
喜びを追求することです。
喜びの追求に憎しみも、不安も、恐怖も、苦しみもありません。
喜びの追求には喜びだけがあります。
だからより多くのものの喜びを追求し続けて下さい。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【春の巻 5帖】
人民栄えて行くことは、神、弥栄のことぞ。神も人民も、世界も、宇宙も、すべていつまでも未完成ぞ。
神様でも大神様はわからんのであるぞ。
ただ、よろこびに向かってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ。
正しき喜びをまず見極めよ。
見極めてひたすらに進めばよいのぢゃ。
食物を食べるのも喜びであるぞ。
正しき食物正しく食べよ。
さらに喜び増えて弥栄えるのぢゃ。
自分の喜びを進め進めて天国へ入ること出来るのぢゃ。
悪い食物悪く食べるから悪くなるのぢゃ。
目に見える食物ばかりでないぞ。
何もかも同様ぞ。
人民は喜びの子と申してあろう。
罪の子でないぞ。
嬉し嬉しの道あるに、何故に歩まんのぢゃ。