信仰とは神心で生きること | 22toshikazu369のブログ

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私達は生きているうちに様々なものを得ることになります。

 

身体、名前、物、能力、知識、思想、評価、地位など実に多くの種類があります。

 

人の欲に限りはありません。

 

得ても得ても満足することはなく、更に多くのものを得ようとします。

 

ですが得ることが出来るものは必ず、失うという性質があります。

 

なぜなら物事は常に同じではない(無常)からです。

 

また神は必要なものしか与えません。

 

故に得られないものはどうやても得られず、得るものはどうやっても得てしまうんです。

 

師匠からもこう教えられました。

 

『あなた達が何を得てどうなるかは最初からすでに決まっています』

 

『だから起こること一切に対して諦めて下さい』

 

諦めるを言い換えると腹をくくる、覚悟を決めるということになります。

 

人はあれかもしれない、これかもしれないと迷だすと非常に脆く、頼りなくなります。

 

これだと一本道を決めれば覚悟ができ、力強くなるものです。

 

人間はどんなに得たとしても死により必ず全てを失います。

 

全ては失うものだと開き直れば、どんなに得ても失う不安や恐怖など起こりようがありません。

 

神が与えてくれたのだから与えてくれたことに感謝し、神が引き取ってくれたのだから引き取ってくれたことに感謝することです。

 

一切は神のものです。

 

私のもの(人間のもの)など何一つありません。

 

もっと言うと人間も神のものです。

 

だから私も皆さんも神のものです。

 

神のものであるなら神と無関係であるはずがありません。

 

神は真、善、美、愛ゆえに真、善、美、愛から外れて喜びはありません。

 

真、善、美、愛で生きることが人間(神)らしく生きることであり、神への信仰だと私は感じています。

 

以下は日月神示の一文です。

 

 

日月神示

【下つの巻 18帖】

この道は⦿(かみ)の道であり、人の道であるぞ。

この道の役員は神が命ずることもあるが、己が御用すれば、自然と役員となるぞ、誰かれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理はないなれど、このことよく腹に入れておいてくれよ。

⦿の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。

⦿に心向ければいくらでも神徳与えて、何事も楽にしてやるぞ。

 

 

【下つの巻 19帖】

苦しくなりたら何時(いつ)でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、⦿に従えば楽になって、逆らえば苦しむぞ。

生命(いのち)も金もいったん天地へ引き上げしまう知れんから、そうならんように心の洗濯第一ぞと申して、くどく気つけていることまだわからんか。

 

 

【下つの巻 20帖】

⦿の世になりたら何事もきちりきちりと面白いように出来て行くぞ。

⦿の世とは⦿の心のままの世ぞ、今でも臣民⦿ごころになりたら、何でも思う通りになるぞ。

臣民近欲なから、心曇りているからわからんのぞ。

 

 

【日月の巻 5帖】

⦿の国には⦿も人も無いのざぞ。

忠も孝もないのざぞ。

⦿は人であるぞ。

山である、川である、めである、野であるぞ。

草である、木である、動物であるぞ。

為すこと、皆忠となり孝と流れるのぞ。

死も無く生(いき)も無いのぞ。

⦿心あるのみぞ。

やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員気つけてくれよ。

⦿の用意は出来ているのざぞ。

何事からでも早う始めてくれよ。

⦿の心に叶うものはどうどしと埒あくぞ。

 

 

【磐戸の巻 11帖】

心にメグリ積むと動物の容れ物となるぞ、⦿の容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトの⦿の臣民と申されるか、わからんと申してあまりであるぞ。

ゴモク吐き出せよ、そのままにしておくとだんだん大きくなりて、(始末にゆかんことになりて、)終(しま)いには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。

改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月の⦿と頼めばどんなことでもさしてやるぞ、この⦿は、世界中何処へでも届く鼻持っているのざぞ、この世造りたこの⦿ぞ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、⦿の御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、⦿には依怙ないぞ。

 

 

【雨の巻 16帖】

⦿の守護と申すものは人民からはちっともわからんのであるぞ、わかるような守護は低い⦿の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪⦿の守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからんのざぞ、心せよ、どんなことあっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆人民の心からぞとくどう申してあろうがな、人民、キから起こって来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むよりほかないぞ、人民の心さえ定まったら、この方自(おの)ずから出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。

この世のもの一切⦿のものということまだわからんか、一切取り上げられてから成程なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと申しているのざぞ、人民の苦しみこの方の苦しみざぞ、人民もこの方も同じものざぞ、言(こと)分けて申しているのざぞ。

 

 

【梅の巻 4帖】

⦿が預けてあるものは、預かった人民よきに取りはからえよ、大き小さいの区別ないぞ、塵(ちり)一本でも⦿のものざと申してあろが、塵一本動かすに、いちいち⦿の心聞いてやっているとは言わさんぞ、預けるには預けるだけの因縁あるのざぞ、預かった人民よきにせよ、奥山何処に移ってもよいと申してあろがな、⦿の道弥栄。

 

 

【梅の巻 18帖】

自分で自分のしていることわかるまいがな、⦿がさしているのざから、人間の頭ではわからん、仕組通りに使われて身魂の掃除の程度に使われて、使い分けられているのぢゃぞ、早う人間心捨ててしもうて⦿の申す通りに従いて下されよ、それがおぬしの得と申すものぢゃぞ、一家の為ぞ、国の為ぞ、世界の民の為ぞ、天地の御為ざぞ。