現実的な行動だけが現実を変える | 22toshikazu369のブログ

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不満、憎しみ、恐怖などとは誰もが無縁でいたいと思いますが、それらと仲良くしているのが人間です。

これらは原因なく現れることはありません。

現れるには現れるだけの確かな原因があります。

皆さんも考えてみて下さい。

原因もなく起こる現象などあるでしょうか?

法則や過程を無視した現象などあるでしょうか?

例えば、何か問題が起こった時に事象を遡ることで起こった経緯を知ることが出来ます。

遡ることが出来る以上、確かな原因が存在するということではないでしょうか?

『内側が外側に現れる』

日月神示でよく目にする言葉です。

私が不満や怒りの話をした時、師匠からよく言われた言葉でもあります。

自分の内側にあるものが外側に現れているだけ、ということです。

自分の内側に不満、憎しみ、恐怖があるから、それに相応しいものが現れるんです。

逆に言うと自身の内側に不満、憎しみ、恐怖がなければ、それらは現れようがないんです。

私の師匠が口癖のように言っていた『苦しめば苦しみ、喜べば喜び』ただそれだけなんです。

真理というのはシンプルなものだとグル達は言います。

ただシンプル過ぎる故に人はそれを信じようとしません。

複雑怪奇なもの、綺麗で高尚なものが真理だと錯覚しているのが多くの人の認識ではないでしょうか?

現実を変えるために必要なのが、現実離れしたものだと現実はいつまで経っても変わりません。

現実を変えるのは現実的なものだと皆さん、知っているはずです。

事が起こったから憎しみが現れるのではありません。

憎むような心があるから、憎しみが現れるのではないでしょうか?

同じことが起こっても憎しみを抱く人と、抱かない人がいるという現実がそれを証明しています。

故に外側の現象にいくら文句を言っても意味はないんです。

全ては内側にあるから、内側が原因なんです。

同時に外側に現れるものは内側にあるんだという教えでもあります。

だから外側に現れるもの一切に感謝しなくてはなりません。

たったこれだけのことを教えるために、数多くの教えが存在するんです。

私の師匠が口癖のように言っていた『嫌うことをやめなさい』は究極の教えだと今ならわかります。

教えとは実践であり、現実的な行動です。

現実的な行動だけが現実を変えるんです。

以下は日月神示の一文です。

 

日月神示
【扶桑之巻 10帖】
何事が起こって来てもまず喜こんで迎えねばならんぞ、近づいてくるのは呼び寄せたからぢゃ、こんな嫌な、汚いものはごめんぢゃと申す人民もあるなれど、それは皆己の心の写しでないか。
内に無いものが外から近寄る道理ないのぢゃ、どんなものでも、喜んで迎えるとよろこびとなる結構な仕組、よく会得せよ。
何事も一段ずつ、一歩ずつぢゃ、一足飛びは大怪我のもと。


 

【黄金の巻 66帖】
省みると道見出だし、悟ると道わかり、改むると道進む。
苦しむばかりが能ではない。
自分の中にあるから近寄って来るのであるぞ。
嫌なことが自分の中にあるからぢゃ。
肉体は親から受けたのざから親に似ているのぞ。
霊は神から受けたのざから神に似ているぞ。
わかりた守護神、一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。


 

【五葉之巻 4帖】
お尻を出したらお尻をキレイに拭いてやれよ、怒ってはならん、お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのであるぞ。
利子は後からでよいと申すが、先に払うこともあるぞ、先にお尻を拭いてやらねばならんこともあるぞ。
世が迫って岩戸が開いたのであるから、先にお尻を拭くことも出てくるぞ、思わぬお尻持ち込まれることもあるなれど、怒ってはならん、気持ちよく拭いてやれよ、やがては神がそなたのお尻を拭いて下さるぞよ。