22toshikazu369のブログ

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優しくて思いやりがある。

 

親身に接する。

 

気配りができて面倒見がよい。

 

上記のような人を世間では良い人と認識されています。

 

ではその良い人が自分に対して「あなたは間違っています」「怠けてはいけません」「規則を守りなさい」「努力しなさい」「人に迷惑をかけてはいけません」などと口やかましく説教してくるとします。

 

その人を良い人と見れるでしょうか?

 

多分、ほとんどの方が嫌な人と思うことでしょう。

 

良い人の条件を満たしているのに、嫌な人と判断してしまうのは実に奇妙な話ですが、これに疑問を持たずにいるのが人間です。

 

答えは至って簡単です。

 

自分にとって都合の良い人が「良い人」だからです。

 

だから都合が悪くなれば、すぐに嫌な人に変わるんです。

 

ようは自分の好き嫌いが物事の判断基準になっているんです。

 

近年、親ガチャという言葉を耳にするようになりました。

 

自分が今の状態にあるのは親のせいだ、という意味のようです。

 

主に「親ガチャに外れた」などと言われるそうですが、親の立場からすれば何とも無慈悲な言葉です。

 

ですが好き嫌いで物事を見ると、こんなことも平気で言えてしまうんです。

 

ほとんどの方は成人するまで親に育ててもらったと思います。

 

時間も、お金も、手間をかけてもらったと思います。

 

親が子供を育てることは義務ですが、何十年もそれを続けてきてくれた事実を今度は自分が行うと仮定して想像して下さい。

 

とんでもない労力をかけてもらったと思えないでしょうか?

 

文句も言わず、好き嫌いとらわれず、損得抜きに、ひたすら労力をかけてくれたわけです。

 

また厳しい言葉をかけられたり、口やかましく説教をされたかもしれませんが、何のために行ったのでしょうか?

 

何十年後、子供が成人した時のことを思い、行ったのではないでしょうか?

 

子供に嫌われても行ってくれたはずです。

 

実際に親となり子供を育てたことのある方なら、痛いほどよくわかると思います。

 

何年か前に親子が吹雪の中、車に閉じ込められるという出来事がありました。

 

吹雪がおさまり救助に行った時、父親は子供を抱きしめたまま凍死していましたが、子供は無事でした。

 

父親は死にたくはなかったでしょうが、子供の体温を下げまいという思いが強かったので恐怖はなかったと思います。

 

躊躇なくこのような行動が出来たのがその証拠です。

 

親は子供のためなら命すら捨てることが出来ます。

 

子供の立場になれるから可能なんです。

 

これが親心です。

 

本当に良い人とはこのような方ではないでしょうか?

 

親子の関係に限らず、自分以外のものの立場に立つことが出来れば誰でも親心を持つことが出来ます。

 

さらに親心があれば命すらかけることが出来るゆえに、大きなことが出来ます。

 

大きなことが出来るから、大きな喜びを産むことが可能なんです。

 

だからグル(導師)達は『人のために行為しなさい』と言うんです。

 

以下は日月神示の一文です。

 

 

日月神示

【春の巻 2帖】

神人と申すのは、神の弥栄のため、世の弥栄のために祈り、実践する人のことであるぞ。

神のため祈れば神となり、世のために祈れば世と一体となるのぢゃ。

自分のためばかりで祈れば迷信、我れ善しの下の下ぞ。

 

 

【黄金の巻 93帖】

そなたが神つかめば、神はそなたを抱くぞ。

神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるぞ。

そなたが有限から無限になるぞ。

神人となるのぢゃ。

永遠の自分になるのであるぞ。

他のために行ぜよ。

神は無理申さん。

始めは子の為でもよい。

親の為でもよい。

自分以外の者の為に、まず行ぜよ。

奉仕せよ。

嬉し嬉しの光さし初めるぞ。

始めの世界ひらけるぞ。

一本足では立てん。

二本足がよいぞ。

やがては明くる二三(フミ)の朝、二二(フジ)は晴れたり、日本晴れ。

 

 

【月光の巻 54帖】

頭を下げて見なされ、流れて来るぞ。

頭も下げず低くならんでいては流れては来ないぞ。

神の恵みは淡々とした水のようなものぞ。

そなたは頭が高いぞ。

天狗ぞ。

その鼻曲げて自分のにおいを嗅いで見るがよい。

そなたは左に傾いているぞ。

左を見なければならんが、片寄って歩いてはならんぞ。

そなたは右を歩きながら、それを中道と思って御座るぞ。

そなたは平面上を行っているから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じているが、それでは足らんのう。

立体の道を早う悟りなされよ。

正中の大道あるのであるぞ。

左もなく右でもなく、嬉し嬉しの道あるぞ。

左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ。

原因の世界に入らねばならん。

平面より見れば相対あるなれど、立体に入りさらに複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ。

相対では争いぢゃ。

戦ぢゃ。

真の世界平和は今のやり方考え方では成就せんぞ。

三千世界和平から出発せねばならんぞ。

そなたは神示をよく読んでいるが、それだけでは足らん。

神示を肚に入れねばならん。

付け焼刃ではならん。

神示を血として生活すれば、何事も思う通りスラリスラリと面白いほど栄えてくるぞ。

思うように運ばなかったら省みよ。

己が己に騙されて、己のためのみに為していることに気づかんのか。

それが善であっても、己のためのみならば死し、全のための善ならば弥栄えるぞ。

善にも外道の善あるぞ。

心せよ。

神示見て居らぬとビックリが出てくるぞ。

この世始まってないことが出てくるのぢゃ、世界の片端浜辺からぞ。

わかりたか。

そなたは神体を偶像と申して御座るが、それはそなた自身が偶像なるが故であるぞ。

礼拝を忘れ、祈りを忘れることは神を忘れることぢゃ。

そなたの住む段階では、祈り畏(かしこ)み謹んで実践しなければならんぞ。

拝まんでも拝んでいる境地はなかなかぢゃなあ。

そなたは我が助かろうとするから助からんのぢゃ。

世界はこの世ばかりではないことを、よく得心して下されよ。

我をすてて素直になされよ。

三千年の秋(とき)が来ているのであるぞ。