ある時、
とある場所を訪ねてみたら、
怨念?無念?
が感じられたのだった・・・・・
そのような所で耳を澄ませてみると
このような声が聞こえてきたのだった・・・
「われらはこの地の民。敵に石碑の中に封印されてしまいましたぞよ。
幕軍の攻め込みにより、われらは皆殺しにあった……(すすり泣き)
一族の無念により、この地に千年
封印されてしまったのであるぞ。
おお、この苦しみをわかってくださるのか(泣、泣)
おお、ありがたし。
頼んだぞよ。
今回こそ、今回こそは、
あなたの祈りの力によって我らを解放してくだされよ
頼みましたぞよ。」
いったいどこをチャネルしたんだか
わからないけど、
それなので・・・
純粋な祈りを用いて、封印を解き、
無念の魂たちを解放し、光に返す行為
「おお、ありがとう、ありがとう、ありがとうありがとう、
我らは千年の苦しみより解放されましたぞ。」
魂がみんな光に帰ってゆく・・・
そしたら、おまけに
その光景を見ていた高次の存在や神さまたちも
たくさんお出ましになって、
「ようやった!
そなたの行為は尊く立派であったぞよ。
われら、誇りに思うぞよ!」
すみません、これは私ではありません。
よく、他のブログで見る、
このようなスピリチュアルの行為、
皆さんはどう思いますか?
なんだか漫画かお芝居にありそうですよね。
想像の力全開!
天からもらった使命で
それを果たすための純粋な祈り
それってとっても甘美なもの
美しい輝きに満ちたもの
・・・・なんでしょうけど・・・・
魂を解放するという
“スピリチュアル的使命”
「使命」って
誰でも欲しいよね~
私だって欲しいわよ。
歴史的に虐げられた人々を癒す行為って
すごいよね~
しかも純粋な祈りの心じゃん
でも
私なんて(ハラ黒いから)、
いろいろ考えてしまうわよ
だって、
千年も封印されていたなんて、おかしくないか?
石を置いただけじゃん。
石碑を作った当時ならば、
「化けて出るな」との強い封印の気持ちがあっただろうけど
時が経ち誰も覚えてないなら、そんなの解けてるでしょ。
亡くなった人というのは尊い魂の存在になるので、
自分で封印が解けるだろうし、
人なんかにそんなことは頼まないだろうし、
第一、千年も恨んでるってことはないよ、
気持ち悪いし、
怖すぎる!
あと、高次の存在や神さまでも解けない封印を解くって
どんだけの霊能者なのよ。
ひとりの人が言ったこと、見たことをみんな信じてるけど、
どうなのよ。
それに、
その特定の場所で起こったその出来事が
特別にひどいこととは思えないです。
そのような部族間抗争や争いは
どこの地域でも、どの時代でも、
日本じゃなくてもあったでしょう。
そんなこと言ってたら、そこら中無念が渦巻いていますね。
戦士だけじゃなく、女子供皆殺しとか、略奪とか、
昔なら普通に残虐行為をしていたでしょう。
千年どころか、
もっと昔や、
つい最近まであったでしょう。
戦争とか、ひどくない?
特定の一族の魂だけが
千年解放されないなんて、あり得ない。
それは怖すぎる。
・・・・・・
そのような“スピリチュアルの使命感”に酔って
次々と魂の解放をしていく行為。
それは「美しい」のかしらね?
「満足感」があるのかしらね?
歴史的に人間が無念をひきおこす争いをずっと行ってきたならば、
死んだ人の魂を開放するより、
その無念を胸に刻んで、
今生きている方や、
現在進行形の問題解決の方向に
頭を切り替えた方がいいと思いました。
現在でも
民族的に圧政に苦しんでいる方や、
偏見に苦しんでいる方や、
無念と思う方がいる。
無念の思いを晴らすなら、
昔の出来事は変えられないけど、
今の自分が何をするか、
どこに目を向けるか、
それで晴らせる無念もあるかもしれません。
それは
“スピリチュアル的使命感”と違って、
無力感にさいなまれるけど・・・