ってわかりません。

 

 

高次の存在に聞くと

「すべてが愛です。」

「愛には、さまざまな形があるのです。」

「愛を学ぶためにあなたたちは生まれてきたのです。」

 

・・・・・・やっぱりよくわかりません。。

 

 

 

 

なら、

高次の存在ではなく人間に聞いてみようラブ

 

エドワード・バッチ博士の素敵な言葉です。

 

 

人が「愛」だと思っているのは、

実は貪欲と「恐れ」が一つになったものだ。

人はより多くを欲し、失うことを恐れている。

だから人は「愛」と思っているものを本当にわかっているとは言えない。

 

 

つづきます・・・

 

 

真実の愛とは、

きっと人間の一般的な理解を越えた、限りないものだ。

間違いなくユニティ(全体性)において、

私利を滅し、私心を完全に消し去って、人格を大いなる全体に溶け込ませていくことだろう。

 

 

一般に「愛する人」とは、自分に与えてくれる人を意味する。

それは愛する人がもっと多くを欲する貪欲を満たしてくれるからだ。

 

一方、「嫌悪する人」とは、自分から奪い取っていく人のことを指す。

何故ならその人が、失うことの恐怖や不安を刺激するからだ。

 

 

しかし、この世で失うものなど何もなく、

物事は得るためだけにしかないとはっきり理解できるなら、

嫌悪を抱くことはなくなるはずだ。

 

そして、文字通り「汝の敵を愛」せるようになるだろう。

神を、そして仲間を心から愛するということは、

きっと見返りを求めず、ただ献身したいと心から願うことだろう。

 

おそらく人がよく知っている愛に一番近い体験とは、

手が届かぬほど美しい夕日や星降る夜、素晴らしい音楽、あるいは山々や荒野の美しさに触れることだろう

 

エドワード・バッチ博士、1933年、抜粋

 

(写真借りました。Mさんありがとー)

 

 

いかがでしたか。

エドワード・バッチ博士は英国の医者でフラワー・レメディーの提唱者です。

参考になったらうれしいです。

 

フラワー・レメディーのこと、また今度、書いてみます。

 

 

ブログにお付き合いくださり大変ありがとうございました。