先日、上野千鶴子さんの講演会に参加した。
昨年の東大祝辞で話題になった、あの、上野千鶴子先生。


女性学という学問、そして女性学の内省から生まれた男性学についての講演で、

私が「自分らしい豊かな暮らしとは」という問いをもった10代には既にこういったジェンダー研究がされていたなんて、当時の自分に教えたかった。




私とフェミニズムとの出会いは、24歳の頃。


男性の先輩社員が「フェミニストは嫌いだ」と言ったことから。
フェミニストというと、男性と戦う強い女性というイメージがありましたが、私は誤解していたように思う。



フェミニズムについてはまだまだ勉強中だが、私は女性として生まれて「割りに合わない」と感じることが多く、同じ女性として生きる実母についての嫌悪や、そして母親に対して嫌悪感を抱く自分に対してもかなりの嫌悪があった。



高校時代ファッションを学び、そのままアパレルの世界へ飛び込んで、生き方に迷った。

たくさんの女性を自由にしてきたファッションに心躍り、そのままアパレルの世界へと飛び込んだのだが「働き続ける女性」というものがまだ一般化されておらず、というか、一般化されるように頑張っている先輩女性たちがいた。

そこで
働き続けるかわりに独身でいるか、結婚して家計の足し程度に働くか。
この両極端な女性しか存在しえないという思い込みが生まれ、私を縛るものに。


当時の私は、結婚は20代のうちにしないとヤバイと思っていたし、あたたかい家庭を築くには、女性側が仕事に精を出すのはよくないことだとも思っていた。

実際にはそれは母の価値観であり、母の生き方そのもので、社会一般にも同様の価値観が存在したからこそ、私の思い込みは強固なものとなっっていった。


《女性はどうして、「こうすべき」「こうあるべき」という社会からの無言の圧力がかかるのだろう。女性に生まれることは損だ。自分が自分らしくいるということが難しい。》

そんなことに悩んでいた。


《母を反面教師とする。》
10代の私はこんな決意もしていた。


「女性が経済的に自立することが大事だ」という価値観は幼少期から育まれ、私の中に根付いていく。


《結婚と仕事は別物だ。
夫に経済的に依存することは避けたい。》



無知な自分なりに悩んで迷ったのち、全く違う業界へ舵を切ることにしました。
アパレルから、畑違いの世界へ。
偶然なのか?女性環境から、男性環境へ。


そこでも私の中の「女性であることへの嫌悪感」は育っていきました。


今振り返ると、本当に時代遅れのガラパゴスな現象なのですが、
「女性がお茶汲み」「女性がコピー」
が当たり前な価値観の職場で
(2020年現在もこの風土は変わってないよう)

それを当然のようにせっせとこなす先輩女性社員。そして当然のように女性である私にこの役割引き継がれたのです。


日に日に蓄積していく、言語化できない違和感。


当時の事務所では数々の女性蔑視と静かに闘ってきて、そこで私は一つのラベルを身につける。

悲しいかな「気が利かない」というラベル。

お茶汲みもコピーも、女性だからやるべきとされてきた慣習・雑務は、業務に関係ないものは何も気づかないフリをした。
愛想良く社内の空気を和らげる存在というものとは正反対。社内の潤滑油になることを拒否した。


24歳の頃、男性社員に「そろそろ賞味期限がくるね〜」ということも言われたが、それは昔は本当に当たり前な価値観だったらしい。

私がフェミニズムを知ってから、時が止まった職場環境にいることに気づいたけれど、その時には身動きがとれなくなっていた。
10年もこの職場にいたと思うと本当に驚きしかない。


今思うと、当時の私は自己肯定感が低くなっていた。毎日のパワハラ・セクハラというものが、どんどん「自分は無力だ」というバイアスを築いていき、他の選択肢はないものであるという思い込みに縛られていた。



これは子育てにも通ずるもので、子どもの自己肯定感には毎日関わる家族の言動は、とても重要だと思う。


フェミニズムというものは、女性をたくさんの思い込みから自由にしていくものであり、
自分を解放できるのは、思想や学問や違和感への内省。女性だから・男性だからというものに縛られず、それぞれの性を理解し、楽しむということを、息子にも教えていきたい。


女性だから損だ。男性だから損だ。
こんなモノサシで見るのではなく、いつも「自分」であることを大事にしたい。




《こんな価値観を0歳の息子に今からどう伝えていこう?》


ベビー用品1つをとっても「男の子はこれ」「女の子はこれ」というものが決まっていて、洋服もハッキリと「らしさ」で分かれていることに改めて気づいた。


出産準備の買い物に行ったときには、必ずお腹の子の性別を聞かれた。男の子だと答えると、青いクマや強そうなワニなどの絵がついているものをオススメされた。


私はそれに違和感をもったし、白いウサギや黄色いヒヨコ、食べ物などの絵柄、ボーダーや花柄ドット柄のものを購入した。
息子はピンクもグリーンも着るし、タイツも履く。


子育てしていての発見は、社会を見渡せば「男の子向け」「女の子向け」というものだらけであり、私たちは作られた枠の中で好きか嫌いかを決め、選んでいる。

息子が自分で選べるようになったら、洋服も食器も文具も、まっさらな気持ちで自分が好きなものを選んでほしいと思う。


子ども向けのアニメは今のところまだ見ていないし、絵本も0歳児向けのものはジェンダーを感じるものはほとんどないけれど、これから色んなものに触れていくなかで育つ彼の性を、どうやって支えていこうかな?と考えさせられた講演会だった。


息子には、自分や友人・パートナーの心も体も大事にしていける大人になってほしい。
ジェンダー教育は生まれた瞬間から始まる。



今回の講演会に参加して、少しずつ私の中の嫌悪感が分解される感覚があり、さらに女性学・ジェンダーというものについて関心が高まったので、少しずつブログに書いていきたいと思います^ ^