どうもしょーごですイヒ

今日は食材活用の話でも書こうと思います。

特に僕だけが独自でやっている訳ではなく、飲食店では割と良くやっていることだと思うので、既に実践されている方もおられるかもしれませんニコ

さて、料理をする時にどうしても出てしまうのが、野菜の切れ端などの生ゴミではないでしょうか?

例えば玉ねぎや人参、葉物野菜などの根の部分、ハーブ類の茎など、調理には使えない部分が出たりすると思うんですよね。

一般家庭ではそれらを捨ててしまうことが多いと思うんですけど、ジップロックなんかにまとめて入れて冷凍しておいたりするんですよにやり

そんである程度の量が溜まったら、それらをガサッとまとめて水と一緒に鍋に入れ、沸かして煮出します。

それをシノワで濾してあげると、野菜のブロード(出汁)ができあがりますウシシ

ただし煮出しすぎてしまうと、味がブロードに出過ぎてしまい味が濁る可能性があるので、野菜の香りが水分に移る程度に沸かすのがいいかもしれません。

ゴーヤなどの苦味やエグみが出やすい野菜なんかも避けた方がいい思います。

カレーでもシチューでもパスタソースでも、水気を必要とする料理全般にこのブロードを使えば、いつもよりグレードの高い料理になりますよニコ

他にも、海老など、ボイル調理を必要とする料理にこのブロードを使えば、食材の味や香りが抜け過ぎず、風味のある食材のまま食べられます。

ただのお湯でボイルするより、ある程度の濃度がある水分でボイルする方が味が抜けない(味が戻ると表現したりもする)んですよね。

さて、このブロードの保存方法なんですが、沸かして粗熱を取ったら、100円均一などで売ってる製氷皿に入れて氷にしてしまいましょうガーン

それもまたジップロックなんかに入れておけば、必要な時に必要なだけ取り出して使うことができるし、溶かすまでの時間も短縮できますにやり

少しでも無駄を無くすため、そして美味しい料理を作るため、是非お試しくださいニコ

それではまたイヒ
どうもしょーごですイヒ

昨日はブログを書き始めてから100件目の更新でした。

実はブログを書き始めた当初から、100件目の内容は決めていたんですよ。

『人間の死』について書こうと。

しかし、昨日のブログを読んでいただければ分かりますが、全然違う内容なんですよね。

決して忘れていた訳ではなく、ちゃんと理由があるんですよ。

昨日、前の部隊でとてもお世話になった先輩から電話がありました。

その内容は、僕が自衛隊に入隊して間もない頃にお世話になった先輩が亡くなったというものでした。

その方は女性なのですが、旦那さんも自衛官で、そのご夫婦には仕事からプライベートまでとても良くしていただいていたんです。

先輩が亡くなったという事実と、残された旦那さんの心境を考えると、何となく死というものに触れるような内容のブログを書く気になれなかったんですよね。

僕はこれまで何回か『人間の死』に向き合うことがありました。

身近な人を亡くしたこともありました。

その度に思うんですよ。

『死というものは、この世を去るその当事者が遺された人に対し、身を以て最後に教えることができる命の尊さ』なんじゃないかと。

変な宗教とかそんなんじゃないし、当事者もそんな意識なんて無いと思います。

できれば死にたくない人が大半だろうし。

ただ、そういう風に考えた方が、旅立つ方も遺された方も少しは救われるんじゃないかと思うんす。

特に身近な人の死であればある程、純粋に向き合うのって辛いんすよ。

だからどうせ正面から向き合うなら、その事実から何か学ぶものがあって、それを自分の人生に活かすことができた方がいいんじゃないかと。

考え方や捉え方でどうにかなるとは思いませんが、何かのきっかけにはなるんじゃないでしょうか。

現実はなかなか難しいんですけどね。

僕が離婚をした時に何かと気に掛けて良く話し掛けてくれたのもその先輩だったなー。

お世話になりました。

ご冥福をお祈り致します。
どうもしょーごですイヒ

気が付けば早いもので、ブログを書き始めてからこの投稿で100件目になるようですうーん

とりあえず100件目までは、どんな内容でもいいから毎日書いてみようと密かに思っていたんですが、本当にあっという間だったような気がします。

書く内容に困らなかったという訳ではありませんが、それだけ月日が経つのは早いということなのでしょう。

当初の目標だった100件目を迎え、これから毎日書くのかどうかはわかりませんが、無理のない範囲で書いてみようと思いますニコ

自分の考えやその日の出来事をこうして残しておくことは悪くないことだと思うんですよね。

今自分が思ったり感じて書いたことを、数年後に自分自身が否定することになるかもしれない。

それはそれで自分という人間の価値観に変化があったという訳で、面白味があっていいじゃないすかゲラゲラ

むしろ、変化が無いってことは、それだけ刺激の無い数年間だったんじゃないかとさえ思います。

子どもだろうが大人だろうが、考えなんていくらでも変わっていいもんなんすよ。

その結果が他人を不幸にするようなものでなければ。

さて、明日はどんな1日にしようかな〜にやり

それではまたイヒ