どうもしょーごですイヒ

スマホをポチポチして設定確認なんぞをしていると、『言語』という項目がありました。

前から知ってはいたし、当たり前のように日本語設定にしていたんですが、「これは良くない」と思ったんです。

『日常的に使用するんだから、知らない言語にした方が自然と外国語が身に付くんじゃないか』と考えた訳です。

『社会に対しての自衛官』と同じように、『世界に対しての日本人』というのも、どうにも閉鎖的な気がしますえー?

我々が普段目にしていることが世間の常識として認識するのは時代遅れなんじゃないすかね。

なので、言語能力からでも視野を広げてみよう!

現在、僕のスマホの言語設定は『English』になっております。

これがまぁ不便!!

いや、でもこれがいいんですよ。

今まで使い慣れていた分、知らない言語でも意味が分かるんですよ。

『あれって英語だとこう表現するのか〜』みたいな感じでニコ

あと、随所で表現が違ったりするんですよね。

時間とかグラフとかがそうなんですけど、日本人と英語圏の人達とでは、慣れ親しんだグラフまで違うんだな〜と素直に驚きました。

文字入力なんかは日本語でするんですが、何かを検索した時に出てくるのが英語表記だったり、何かの設定画面が英語だったりと、正直元に戻したい気持ちの方が強いですが、今のところ頑張ってます笑

分からなくても触ってりゃ何とかなるし、知ってる単語が1つでもあれば何となく理解もできます。

この前買い物に行った時、アプリをインストールすれば安くなると言われたのでインストールしたんですが、設定画面が全部英語になっていて、店員さんと二人で「?????」となったりもしましたけど笑

日常を上手く使うと少しは自分にとって有意義な時間が増えるかもしれませんよニコ

それではまたイヒ
どうもしょーごですイヒ

コロナの影響で、様々な飲食店が経営難に陥っています。

考え方も様々で、こんな状況でも良店ってのはそれなりに繁盛しているもんです。

むしろ、今まで予約が取れなかった名店も、ほんの少しだけ予約が取りやすくなったりしているので、喜んでいる人もいるかもしれません。

かといって、創業から百年以上も続いた老舗が店を畳まざるを得なくなったりと、本当に様々なんですよね。

店によっては、通常どおり営業するよりも、休業してしまった方が儲かるなんて話も良く聞きます。

政策のお陰で営業しなくても協力金がもらえたりするので、営業せずに協力金だけもらってのんびり生活できるらしいですよねー

まぁ好きにすればいいと思いますが、僕はコロナが終息してもそんな店には行きません。

飲食店としてのプライドが無いんだろうな〜と思うので笑

事情もそりゃそれぞれなので、営業したくてもできないなんて店もあると思うんす。

でもね、『営業できるけどしない方が儲かる』なんて考えてる店に行きたいなんて思えなくないすか?
こんな状況で営業するのって、本当にリスクがあると思うんです。

周囲の目は勿論、お客さんが来なければ金は手に入らないし、フードロスもある。

それでも懸命に営業されているお店を見かけると、胸が熱くなります。

この前、とある焼鳥屋に行ったんですよ。

酒は飲まないんですけど、焼鳥が大好きなんですもぐもぐ

お客さんで賑わっている訳でもなく、恐らく休業した方が儲かるんですよ。

しかし、そういう店って一品一品に魂が込められているのが分かるんですよね。

串打ちから火入れまで、『美味しいものを提供したい』という気持ちが伝わってきました。

こんな状況でも、自分の生活を潤すこと以上に大事なものがあるんすよね。

そういう店には、きっとコロナが終息しても行くでしょう。

コロナ終息後、こういう店にはいいお客さんがいっぱい食べに行き、飲食店としてのプライドもないような店にはそれなりの客しか行かなくなるんじゃないでしょうか。

というかそうなればいいのに。

目先の協力金に飛び付いて、職人としての心意気を失った(元々ないんだろうけど)人に、飲食店を営業する資格なんてないと思っているし、営業されるのは迷惑です。

僕が小学生の頃、母と二人でとある蕎麦屋に入ったんですよ。

用事があって出掛けた帰りだったんですが、それなりに遅い時間だったんですよね。

当時は遅くまで営業している店も少なかったので、たまたま営業していて目に付いたその蕎麦屋に入り、天ぷら蕎麦を注文しました。

そして出てきたその天ぷらが、何時間も前に揚げた天ぷらをただ温めただけなのが分かるくらいフニャフニャで美味しくなかったんですよ。

完全に作り置きでした。

おい蕎麦屋、
今でも鮮明に覚えてるからな!!

今僕がその店に入りそんなものを提供されたら、徹底的に文句言ったと思います笑

母も、あまりの不味さに衝撃を受けたのでしょう。

「美味しくないね」

と、申し訳なさそうに小学生の僕に言ってきたのを覚えています。

分かりますか?

良店だけが残れば、わざわざリサーチもせずに目に付いた店に飛び込みで入れるんすよ。

そんな飲食店としてのプライドもない腐った蕎麦屋みたいな店なんて、消費者からすれば迷惑でしかないんです!!

『損して得取れ』って良くできた言葉ですよね!!

前も書いたけど!

それではまたイヒ
どうもしょーごですイヒ

『自分へのご褒美』というのが好きではありません。

ブランド品を買ってみたり、高級店で外食をしたり、それを『自分へのご褒美』とする理由が分かりません。

単純に、『欲しいから買った』では駄目なのでしょうか?

承認欲求的な理由で、『他人に自慢したい』という心理はまぁ分からなくもないんですが、それをご褒美とする理由が見当たらない気がするんです。

わさわざ『ご褒美である』とする以上は、『ご褒美とすることによって』相手に何かしらの心理的要素を与えるものなのでしょうか。

それとも、本当にご褒美として買ったのか…?

だとすれば、それこそ本当に理解ができない…。

『仕事を頑張ったから』とか、『ダイエットを頑張ったから』とか聞いたりしますが、仕事なんてやって当たり前だし、それに見合った賃金を得ているのが通常だと思うんです。

ダイエットに成功した人は、一般的には褒められ対象みたいになっていますけど、そもそも「ダイエットしなきゃ!」と強い決断をしなければならない程、それまで何年もほったらかしにしていた訳で、いくら頑張ったからといってその数年分をチャラにできるほどでもないのでは?と思ってしまいます。

ましてやご褒美だなんて…。

僕は日常的に食事制限や運動をし、体型維持をしていると前にもブログで書きましたが、好きな物を好きなだけ何も気にせず食べることができたらどれだけ楽だろうと思います。

痩せたからといって自分へご褒美を与えてしまうような性格だから太ったのでは…?とか意地の悪いことを考える大人になってしまいました笑

そう考えると、『本当に自分へのご褒美な訳がない。他に理由があるはずだ』と思ってしまうんです。

しかし、どれだけ考えても分かりませんえー?

犬のお巡りさんになった気分。

因みに、子どもにご褒美を与えるのは有効だという説があります。

道徳的に「これができたらお金あげるよー」みたいなのは批判される気もしますが、結果を出せばそれだけ手に入るものがあるという成功体験をさせるのは、子どもの能力を伸ばす手段としては有効と聞いたことがあります。

ん?自分へのご褒美ってそういうことか?うーん

それではまたイヒ