私にとって書くというのはとても大事だ。

仕事とか趣味とかいろんな行動があるけど、書くということなしには深みが出ないなと思う。

なぜなら書くことで頭を初めて整理できるからだ。

 

頭の良い(と私が思っている)知り合いが、私が書くことでようやく頭を整理できるようなことを

「若い頃は考えたらできることだったのにな~」とぼやいていた。

別に私は若い頃から頭の中だけで物事を考えることができないので、まじかよと思った。

なぜなら考えてるうちに思考がどんどん違う方向にいったりして何考えてるかわからなくなる、

3歩歩けば忘れる鳥頭みたいな構造をしているからだ。

で、その頭の良いやつは自分の思考をべらべらと垂れ流すことで自分の頭を整理している。

黙って考える時もあるそうだが、話すことでも整理しているらしい。

そのおかげで人に好かれたり嫌われたりしたが。

人を相手に話すことで頭を整理するというのも、なんだか自分にはない発想である。

だって相手がいると相手のことを考えた発言をしないといけなくなり、自分本来の思考が難しいからだ。

誰にも迷惑かけないかたちで日記にひたすら自分の思考を書くしかないと思う。

それだけ自分の思考を思うがまま発信できるだけの心理的安全性のある人間関係をつくれなかったと言えるかもしれないが。

 

そういうわけで書くことで、ようやく自分の思考を一応合理的に整理し、次の行動の指針となる。あるいはシンプルに頭の整理なだけでも。

 

書かないとダメな人間なんだ、というのが今日書きたいこと。

個人という人間である以上、起きた出来事に価値があるのでなく、そこにする解釈に価値がある。

書くことで、物事への解釈を書かない時よりも思考を何倍も広げられる。

書くというのは自分の中の意識にのぼってこない思想を拾い上げることである。

書かなければ底に沈殿されたままである。書くことで、自分の中にこういう意識があるのかと発見する。

その時に他人の目を気にしてはいけない。社会性とかは一旦保留しておく。なぜなら他人の目が入ってしまえばそれは純粋な自分の中の意識ではないからだ。そして純粋な自分の意識でなければ、表に出してきても心の中の無意識と齟齬が生まれる。齟齬が生まれるとその先にある行動の選択はちぐはぐな気持ち悪い感じに進んでしまう。いろいろ意見があるかもしれないが、今のところ私は生きるということは自分の能力を最大限開発する形で社会全体のこともよくしていくということだと思う。

でも根底には自分を信用しているというのがある。というか、村上春樹的なというかユング的なというか、人間の思想というのは深層のところで共通しているのではという価値観で、自分の最善解と思うものは社会につながっていくんじゃないかと思っている。

 

全部いまのところは、という話だけど。

自分の思考とはどんな情報に触れてきたか×これまでの教育等で積み上げられてきた自分の趣向・思考の傾向×思考時間という形で決まり、間違った思考に×思考時間してもナチスみたいなやばい思想になったりするし、何が正解かなんて言ってしまえばないので。

とりあえず今飢餓に苦しんでいる人を助けることは正解だとしても(そこに別の不正解な要素がなければ、純粋にそれ単体だけ見ればということで)、世の中の正解と言われる多くはあくまで思想の派閥の中で決められ、おまけに多数派であるもの。