理解が難しい小説だった。
身体中に穴をあけまくる人の心理も、最後の主人公ルイの気持ちもシバの夢もよくわからなかった。
アマの純粋さもそんなもんあるかね?というのが最初の印象だった。
ただいくつか解釈を読んで考えるうちに思ったこと。
あまり深読みをしすぎずに内容を素直に受け取ると、アマもルイと同じような気持ちを抱えてて生きている実感もなくて、痛みを感じた時にだけそれを感じるような思いがあるが
アマの方は不良に絡まれた時には相手を殺してしまうくらい真っ直ぐなので、ルイ以上にその性質が強かったのではないか。
だからバイセクシュアルだったアマはいきすぎてシバに殺された。シバは相手が求めているかつ自分がしたいことを満たしただけで、そこまで罪悪感を感じてはいない。それでも夢に出て来た通りどこかに良心は残っている、というかそれは良心というかこのままで大丈夫なのかという不安かもしれない。それでそろそろルイと結婚しようかなとも思っている。
精神的にアマに依存していたことに気づいたルイは、アマが死んで初めてそれだけアマを必要としていたことに気づく。それが生きている証のようなものである。
アマがルイにまとわりついていたのは、誰かを好きなことで自分の生の実感を証明したかったのかもしれない。シバもルイと結婚したいと思ったわけだし、ルイには彼らを受け入れてくれるけれども生の世界で生きることができるといった希望を見いだせるような何かがあったのかもしれない。そこにはルイは特に孤児でもなく両親がいることなども関係しているのかも。
痛みを感じなければ生きている実感がないというのはどういうことだろう。
私は人並みなので痛いのは嫌いだ。
でも例えばバックパックで旅行して、汚いエリアとかローカルなエリアに行ったりすると、綺麗すぎる日本と比べてなんか生きている感じがするなあと思うことがある。
あまりにもシステム化されていたり、感情をつくろって負の感情を押し殺し正の感情のみを是とするような社会の中で、あえて汚いものを、あえて痛いものを感じることでそれらを中和したい、日常はどこか嘘をついているようで本当の部分を取り戻したいと思うような感情は理解できる気もする。
ただそれでも私は痛いものも不快なものもできるだけ感じずに生きていたい。それが嘘であろうと、嫌な思いをするのはもう真っ平だという気持ちだ。
痛みを積極的に求める主人公やアマやシバは、あまりにも円滑に進みすぎる世界に退屈していたんじゃないかと思う。痛みを求めるのは、生きることが痛くなさすぎるからだ。平坦でフラットで生きてる心地がしない、かといってすごい楽しいこともない、不感症。でも痛みははっきりと痛みと認識できる。
実際ルイも容姿に優れているせいで男には不足しないし、すぐにコンパニオンの日給三万円の仕事を手に入れることができる。友達もいるしルイのヒモになってお金の心配もしてない。ぬるっと日々が続いていく。けれども心のどこかに若い今だけがそんな生活ができるのかもという不安がある。だからシバもそろそろ真っ当に結婚でもしようかと考える。
彼らは自分に正直に生きているし、それで友達だったり彼氏だったり仲間もいて、私から見ると随分幸せそうにも見える。退屈した結果の若者らしいやりすぎた反発心、と捉えるのは老害的な考え方なのだろうか?
だって、本当に苦しかったらもうこんなに苦しいのはいらないってなると思う。
嘘でもいいから快適で痛くない世界に行きたいと思わないか?
それとも本当に苦しくて、その苦しさが生きている実感のようで好きで、本当に苦しい状態をずっと求めるのかね?
もう苦しいのはたくさんなので、快適に楽しく程よい成長痛くらいをくださいと思うのはどうなんだろう?楽しいことも苦しいこともありすぎると飽きるんじゃない?
誰かルイに共感できる人がいたらその気持ちを教えて欲しいのだけど。HSPでないことには間違いない。村田沙耶香のコンビニ人間のような人もいれば、蛇にピアスの彼らのような人もいる。多分類型化はある程度までできても簡単ではなく、本当にいろんな人がいる、という話に落ち着いてしまう。まあそうすると何の考察にもならないで、仕方なく私は村田沙耶香系とか、金原ひとみ系とラベリングすることにする。