先日ブラジルで事業をしている人と話す機会があった。
その人は本人曰くポル語を話せない。
でも4年前から一人で開業し、生活できるレベルに事業を今のところ成功させている。
経営内容は美容サロンで、話さなくても黙々ネイルをしたりハイフをしたりできるということや
翻訳が必要な場面では日系ブラジル人を雇って助けてもらう、というようにしているとのこと。
特に今後もポル語を勉強していく気持ちはないとのこと。
最近youtubeを見ていても、字幕だけでなく日本語への自動音声変換があったり
もちろんニュースサイトなどはgoogle翻訳などでパッと日本語にできるので
海外の情報収集をするのにも言語は必要ない。
今のところコミュニケーションでは、翻訳機を使ってだと時差があるので言語ができることが好ましいが
そのうち技術が発展すれば同時翻訳で、本人のような声で言語を同時変換してコミュニケーションできる時代が10年以内とかに来るかもしれない。
私が言語を勉強するモチベーションは
・海外の人と話して、いろいろな知識や価値観を知れるのが面白い
・シンプルに海外の人と友達になってみたい
・旅行が楽しくなる
・海外で仕事したい
・外国語話せるのかっこいい
・言語を学ぶこと自体がパズルみたいな、知ると新しい世界が開ける感覚が楽しい
・・・
などがあるが、上から4つの内容はテクノロジーの発達で自分が言語を習得しなくても解決できてしまうのではないか。
あとは、自分で外国語話せたらかっこいいと、語学を学ぶ成長感が楽しいということだが
もうそれだと娯楽の域である。別に言語じゃなくてスポーツでも代替できそうだ。
実際前述の知り合いがポル語を話せなくてもブラジルで事業を展開しているので、
もう言語を学ぶことは仕事やプライベートでも何のアドバンテージにもならなくなってしまうのかな?と少し悲しくなった。
ただ彼女が言語無しに働けるのはその美容サロンの技術ありきであり、その背景には「日本や韓国など、美容が進んでいる国」から来た人だからだと思う。
こちらでも韓国人ヘアサロンや美容医療はとてもはやっており、やはりブランド力(ともちろん技術)がある。
仮に彼女が日本出身でなくブラジルより貧しいような国(例えばアフリカのどこかとか…)だったら
言語習得なしに事業を展開できなかったんじゃないかと思う。やはり日本とか韓国とか背負うブランドも大きいんじゃないか。
ただ年々日本のブランドも弱くなっているように思える。
昔は工業製品とか日本ブランドは特に強かったし、真面目で勤勉で礼儀正しい日本人というイメージもある。
でもそれらはどんどん弱まって中国や韓国に代替され、今の若者が真面目で勤勉かというと??と少し思う(それでも海外の人よりかは真面目か。以前デンマークに住んで留学生の日本人よりもデンマーク人の方が真面目だなあと感じたので。あと勉強量で言えば中国韓国がすごそう。)
だからそのうち日本ブランドと日本の誇る技術がなくなれば、海外で働くことはより厳しくなるんだろうなあ…と感じる。
なんかどうも、私たちが豊かに過ごせるのは先人達が気づいてきた財産を食いつぶしているような感覚を覚える。
国をどうこうみたいな気概は特にないが、自分個人が、そして仮に子供など生まれたら、どう豊かに過ごしていけるか
周りにとって代わられないものは何かを考える。そんなこと考えなくても自分が生きている間は生き残れるかもしれないが、
世界というのは数十年とかであっという間に状況が変わってしまうものだとも思う。
例えばだけど中国人が海外でチャイナタウンを作ってそこの街中華が美味しくて繁盛している、みたいなのは今後もなくならないよなあと思う。(だって美味しい中華料理は中国人にしか作れない気がする…)
例えば空間なら、日本の禅の精神のような、侘び寂びとか、そういう日本独自の思想でつくられた空間はオリジナルになるだろう。
建築も、食事も、工業製品も、そのプロセスにはやはり日本人的な思想が根底にあり、それがモノを形作っている。
表層は真似できるが、思想は長年の蓄積でありアイデアを生み出す思考回路みたいなのも体得しなければ手に入れられない。
リナボバルディが言うような記念碑が記録に変わる、意味を内包した造詣を単なる意匠のみコピーするという行為
何も考えず消費する、咀嚼せずに詰め込む、手段と目的の変換、
そういうのが起こりうる社会の中で(なぜなら人は頭を使いたくない、なるべく楽したいから、物質的な豊かさや所有、目に見えるものを手に入れるというのは(お金、車、家でもなんでも)分かりやすい承認欲求を満たしそう自己価値を高めそう(実際高めないが)なものだから。)、原則的なものを理解することが生きる上での解となりそう。
ちなみに絶対解は存在しない。
例えば今私は自分やその周辺が幸せになることが人生において正解だと思っており、それに向けて行動している。
ただ個人が幸せになることは必ずしも正解でなく、地域や国としての集団とかが幸せになるために個人の幸せが成り立たなくてもそれが解となることもある。本当は両立すればいいのだが、今のところ両立できているところはなかなかない。
個人が不幸なのは単純に社会のせいだけじゃないのかもしれない、その人が不幸な性質を持っているに過ぎなくて
いろいろな状況でも不幸なのかもしれない。遺伝子的に不幸とか、他人がいる限り不幸とか。
で個人の幸せと、集団の幸せ(というか成長)で個人単位だと個人を優先したくなるが、集団が国としてある程度豊かにならないと個人が幸せになれないというジレンマもある気がする。なので、実は優先すべきは多少個人をないがしろにしても集団の幸せであるということもあり得る。
なので中国が不法労働などさせて国として成長していることはもちろん現時点で悪いことなのだが、最終的に国として豊かになりその富が分配されて、その不法労働させられた人たちとその子孫が豊かに暮らせるのであれば、今後ひたすら貧しく暮らすよりかはマシなのかもしれない(それが良い、という話でなくマシという話。)まあ今後富を分配するようなこともあまり考えられないけど…
で、個人も幸せで集団も成長するという組織をどう作れるのか、というのが大きな問だけど、それについては大きすぎるので一旦保留しておく。
ここで私が知りたいこと、それは
・ブラジルもデンマーク人も他人に対してフレンドリーだがそれはなぜか。
日本人はというか東京周辺の人はなぜ他人に冷たいのか。
・ブラジル人はおしゃべり好きで端から見ると日本人より楽しそうだが、ネガティブな面はあるのか。やはり楽しいのだろうか。
・ブラジル経済はなぜ原料輸出にとどまり、それを加工して利益を出そうとしないのか。ブラジルコスト(国内外企業の参入障壁)があげられるがなぜそれは解消しないのか。ブラジル国内での消費で満足して海外に出る気概がないと意見があるが、もっと豊かになりたいとか、貧困層をなんとかしたいとかそういうのはないのか。
・強盗はどんな人を狙うのか、弱者?女性?妊婦は狙う?
・ブラジル人の幸福度は高いのか。日系人はどうか。日系人は日本に対してどう思っているのか。日本の現状について、など。
・他民族が住む国での問題は何か。日本のような単一民族国家との違いは何か。
また疑問が増えたらストックしていきたい。