徐福公園
和歌山県新宮市徐福1-4-24
約2200年前に霊薬を求め渡来した徐福が定住の地とした地にあり、徐福の墓のある公園です。
徐福伝説
司馬遷の「史記」の巻百十八「淮南衡山列伝」の記述によると
紀元前200年頃、方士(神仙、医薬、保健の技を持つ肩書の人物)の徐福は、秦の始皇帝に、「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と具申します。
始皇帝の命を受け3,000 人の童男童女と百工(技術者)を従え、五穀の種を持って東方に船出し平原広沢(広い平野と湿地)を得て、王となり戻らなかった。と書かれています。
徐福は熊野の地でこの地に自生する「天台烏薬(てんだいうやく) 」を発見したとされます。
※天台烏薬
浙江省天台山のものが最も良いものとされ、生薬に用いる根がカラスに似ていること、また、果実がカラスのように黒紫色に熟すことから和名の由来となったとされる。
鎮痛作用、腹痛、消化不良などに用いられ、漢方処方においては、強壮、健胃、鎮痛、鎮痙、鎮静、縮尿作用があるとされる。
その後、温暖な気候で風光明媚な地に魅かれ、永住の地と定め、農耕・漁法・捕鯨などの技術を伝えたとされます。
※当時の中国(秦)は、戦いの歴史で国土は荒廃し、砂漠が多く緑が少ない、川の水は汚れて飲めない、食料や飲料の確保が困難な土地でした。
一方、熊野は緑が多く、水も新鮮、海の幸、山の幸が豊富な豊かな地、秦を出て熊野に漂着した徐福一行は熊野の地がこの世の楽園と思ったことでしょう。
徐福の墓
徐福はスサノウ命?
出雲に降り立ち、ヤマタノオロチを退治して出雲の国を治めた「スサノウ命」は徐福であるとの説もあります。
出雲国一宮である熊野大社に祀られる「熊野大神櫛御気野命」はスサノウ命とされ、徐福が漂着した熊野の地との関連も考えられます。
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