四 北斎が絵の値
多事多難と言えば笑い話にも成るような話だ。珍しい事を注文されたが故に吾にとっては難事の一つだった。それ故に記憶にも残る。
あの日(文化三年三月二十一日、一八〇六年五月九日)は、江戸参府のカピタン等と長崎屋で面会を許されていた。
毎年に会えるものでもなければ、その日が来るのを待つのも楽しみの一つだ。カピタンとの対談を御上に許されたのは四回目だったか。
挨拶を交わしたばかりにいきなりだった。カピタン(ヘンドリック・ドーフ)が、葛飾北斎と言う絵師を知っているかと聞く。
その絵師の描く浮世絵でも役者絵でも相撲絵でも、何でも手に入れたいと声を大きくして(吾に)言った。
余程気に入っていたと見えて、何処ぞで北斎の絵を目にしたかと聞けば、平気の平左が顔で、見たことも無いと言う。
何だー。少しばかり緊張もしたに、驚いたと言うのか拍子抜けもした。思わずカピタンの顔を見もした。周りにいた長崎通詞が笑っていた。その中に顔見知りも居るに、吾の顔を見て笑いもした。
だが、その後に(江戸)音羽護国寺の大達磨の絵の事を口にしたれば、江戸に上る道中、大阪か京か名古屋辺りで北斎が絵の事を耳にしたのであろう。あるいはカピタン、ドーフに北斎が絵の話をした御仁の口が上手かったのかも知れぬ。
ドーフは続けて、北斎の絵は幾らするのかと値を聞きもした。聞かれて答えられるハズ(知識)も無い。
お京が買って来たと語る鳥居清信や喜多川歌麿の浮世絵を前に幾らしたのかと聞いてその値の高いのに驚きもしていたが、何時も決まって終いにはお京の講釈、解説を聞いているだけだった。
吾はあの時即座に、後の面会人に印刷出版の職にある者がおりますればその者に聞かれるが良いと逃げの一手を打った。
それは良いが、後々、本屋(版元)の何人かが折角世話をしたのにと語り、言うがままにお届けしたに一悶着に発展した、日本の絵を馬鹿にしている、余りにも安かろうと憤慨していた。
確かに、浮世絵人気に、中でも多色に成る錦絵が人気と有れば版木の数が多くなり、色を重ね、彫師、摺師の手間賃も日に日に高騰して居よう。
北斎が百琳北斎から葛飾北斎に名を替えたは、近頃だったかと思いもする。