[エッセイ・3―その6]17日は、明日〈18日〉東京に帰ると言う妹が、朝早くから小生の妻や子、弟等の使用した布団等も含め、干し物を広げ、洗濯物を洗濯し、畳の掃き掃除にと動き回ります。
所沢に在っても、田舎に在っても、何時も朝方4時にはパソコンを開いている小生には煩い限りです。
仏壇周りもかたずけ、御供え物の果物を如何するのと聞かれて、仏様から分けてもらったのだと殊勝な事を口にし、食べられるものは食べた方が良いと言いました。
そこまでは良かったのですが。丸いスイカは妹が帰れば一人で食べられる量ではありません。冷やした方が良いと思って、早くに冷えるのは冷凍庫、5分、10分冷やして後に直ぐ取り出せば良いと考えました。
それが大間違いでした。夕方になって、食事当番の妹が夕食を支度するに、「冷凍庫にスイカが入っている、何、これ」
黒いスイカは自家栽培だと言う親父の生家である本家から頂いた物でした。丸々半日近くも冷凍庫に入っていたスイカは良く冷えているものの、表面が一層黒く、手にすればぶよぶよです。妹の呆れるのを尻目に割ってみると、中は黄色でした。
スイカのシャーベットだと思えば良いよとスプーンでほじくって食べていると、夕食のおかずにと、小皿に野菜の煮物を手にして向かいのおばあさんが顔を出しました。スイカの味に今いち首を傾げていた自分でしたが、半分、お持ち帰り頂きました。申し訳なくも思い、所沢から持参したお菓子類も少々。
18日朝。妹が一関駅から乗る東北新幹線の時刻に合わせて8時52分発の市営マイクロバスに一緒に乗りました。自分の方の行動予定は、一関市博物館行きです。何時もお世話になっている同博物館の学芸員、相馬女史にこの日の午前十時半頃にお伺いすると所沢から連絡をさせて頂いていたところです。
バスの出発前、運転手に教えて頂いてなるほどと頷いてしまいました。朝一番のバス(平日6時27分発)は、地元の高校が廃校になって一関の高校に通う子供達のためのもの。
このバスは一関に有る病院に通うおじいちゃん、おばあちゃんのための車。そして午後2時10分一関駅前発は、おじいちゃんおばあちゃんが診療等を終えて家に帰るための車、午後4時台と7時発は、高校生が家に帰るための車、部活等を終えて帰る車と言うのです。何キロ乗っても一回の乗車300円。
田舎暮らしに車は欠かせない。80に成ろうが90歳に成ろうが、家族の中に外に運転する者、車が無ければ生活出来ない。聞いていて、75歳の時に運転免許証を返上したことを、ちょっぴり後悔してしまいました。
一関市博物館では、学芸員、相馬女史に改めてご挨拶させていただき「玄沢と蘭学」「文彦と言海」「一関と和算」「舞草刀(むくさとう)と刀剣」などの常設ブースを見学させて頂きました。
執筆中の「大槻玄沢抄」は、最終章を前に東北大学医学部に学ぶ現代の学生3人を登場させて玄沢の人柄、功績、活躍等を改めて語る形にしております。 その事は、文献調査や先人の書き表した著作物等から学び、小生が感じ、造り上げている大槻玄沢像と、同博物館の教え、伝えている玄沢像とはかけ離れた物ではありえないのです。
その検証の思いを込めて、改めて何度目かの同博物館訪問でした。
昼食には遅い時間となりましたが、博物館の隣にある道の駅「厳美渓」で久しぶりに、一関特産、お餅セットの食事を堪能しました。