[エッセイ・3―その5]15日はさすがに1日お休みです。買い物に出たついでに藤沢町図書館を覗いてみました。入口近くの書棚には作家、楡周平氏の本、作品が並びます。小生と小中高校と同級生だった女性から、お姉さんの子が作家なのよとお聞きしていましたが、それが楡周平さんでした。

 図書館でお会いしたのは偶然にも小生の作品を当初から読んで下さっている図書館司書、今は一関市大原町図書館に異動、勤務していると語る菊池女史でした。(お盆休みを取ってたまたま旧図書館に顔を出していたとの事でした)

 大原には芦東山記念館がある。そこに行く予定も立てていると話し女史に交通アクセスを確認したところ、バスの便が近くを通るのは一日に1本で摺沢駅からタクシーを利用した方が良いとの事でした。(記念館は大東町大原の中にあるものの、最寄り駅名は摺沢駅(すりさわえき)のまま)

 

 晴天の16日、今日は仏様を見送る日だから夕方も早いうちに帰ってくると妹に告げて出かける準備をしていると、記念館には行ったことが無い、私も行くと言い出して、結局この日も妹と二人一緒に家を出ました。

 それが正解でした。またまた年寄二人の助け合う珍道中となったからです。隣町千厩町駅に行くに朝のバス便は1本、7時27分下町発のみです。そこから時刻表を探ると8時台の一関方面行電車は千厩駅発8時14分、摺沢駅8時23分到着。そこからタクシーになると自分で調べていました。

 見学は午前中に終わる、午後は時間があるからゆっくり夕方までに帰宅できると、帰りの時刻を細かく調べていませんでした。

 芦東山記念館は午前9時から開館です。摺沢駅に着いたものの、5,60メートル離れて有った一つしかないタクシー会社は、車庫に車はあるもののお盆で運転手が居ない。暫し待ってくれとの事でした。

 記念館を訪れるのは三度目です。処女作「サイカチ物語」を書き終えて、その後に起きたあの東日本大震災の復興状況を知るため石巻、牡鹿半島、南三陸町の神割崎、気仙沼、陸前高田市、碁石海岸、大原町等を小・中学と一緒だった友の車で周遊した時以来の事です。

 記念館は、芦東山の常設物と「妖怪たちの夏、日本のお化け大集合」の企画物(8月23日まで)を開催中でした。

 常設物で改めてメモをしたのは、東山の生誕、没年。幽閉期間(約23年間、1738年から1761年まで)と、幽閉を解かれて81歳で亡くなる1776年までの間の事でした。

 東山は、仙台藩の儒学者です。旧養賢堂がその時代にも有ったのか確認したかったのですが分かりませんでした。宮城県図書館の「みやぎ資料室」で調べるべき宿題の一つになりました。

 同じく仙台藩の儒学者で、陸奥国江刺郡羽黒堂村(現、岩手県)を故郷とする志村三兄弟、志村實因(さねより)、志村時恭(ときもり)、志村弘強(ひろゆき)との関りも何か有るのか、知ることが出来るのかと思って行ったのですがそれもまた「みやぎ資料室」で勉強することになりました。

 仙台藩の儒学者と言えば志村三珠樹と称されるほどの兄弟ですが、長兄、志村實因(1746年生誕、歿年1832年)とてもまだ15歳の頃に東山が幽閉を解かれたとことになり、関係は無さそうです。

 なお、三男の志村弘強は、石巻の御用船若宮丸に乗っていて難破し、凡そ十年後に世界を一周して日本に帰って来た領民4人(一人が病気のため実際は3人)に、大槻玄沢と共に聞き取り調査等に当たった一人です。

 

 大槻平泉(おおつきへいせん)と言えば、仙台藩の学問所、養賢堂を再建した人物として有名です。徳川幕府の若年寄の職にありながら幼い仙台藩主の後見者であった堀田正敦、仙台藩に身を置く蘭学者として世に知られていた大槻玄沢の意向があったにせよ、平泉は儒学中心の養賢堂に蘭学科の設置、西洋医学部を設置したのです。

 その反対等を唱えていたのは誰か、再建の足を引っ張る輩は誰だったのか小生には大きな関心のある所です。

 

 収穫らしい情報も得られず記念館を後にしました。腕時計は12時半近くになっていました。摺沢の駅近くで昼食を食べようと妹に伝え歩き出しました。天気も良いし、田舎道を歩く楽しみはこういう時でないと無いからねとタクシーも呼ばなかったのです。スマホは摺沢の駅まで6.5キロあると表示しているよと語る妹でしたが構わず歩き出しました。

 兄と歩くと何時もこうなると、不満は明らかでしたが小さい頃から何時も付いてくる妹です。炎天下でした。屋根の上にもう一つの小さな屋根が乗る昔風の家を見つけては、家の中の気の流れを良くすると言いながら実は隠れキリシタンの祠等が有った遺物だと解説し、この砂鉄川の鉄は一関藩、仙台藩の鋤、鍬、鎌、鉄瓶等の基になったが、日本刀の源流にもなった砂鉄の取れる川だったと話しながらの道行(みちゆき)でした。

 途中、疲労を感じたのは妹よりも小生が先でした。突然、後ろで大きな叫び声です。振り向けば大きな蛇が妹の目の前です。兄が蛇の尻尾を踏んだのよとの事でしたが、(蛇は)鎌首を持ち上げて横の草むらに姿を消しました。舗装された道でもこのような事が有るのが田舎の公道です。

 

 やっとに摺沢駅前に到達しましたが、今度は昼食を摂ろうにもそれらしいお店もコンビニもありません。食事処は有ってもお盆休みを伝える貼り紙です。時計は午後2時を少しばかり過ぎた所でした。

 探し回り、駅前から2,30メートル離れて中華の田川屋さんが有りました。看板を下ろしたばかりで、掛け合って、煮干しラーメン二つの注文を快く受けて呉れたのが幸いでした。

 その場で帰りの電車、自分の家に帰るバス時刻の点検もしました。千厩駅を通る電車が有ってそこに戻っても藤沢町に行くバスの便が夕方6時近くにしかない、遠回りでも、一関駅に電車で出て花泉駅回りで生家に戻れるバスが有る。夕方5時半には藤沢町に戻れると確認したのでした。

 己の小さい頃と違って電車の便もバスの便も激減していて時の流れを痛感した一日になってしまいました。

 家に帰れば、この日も何だかんだ13000歩(約9キロ)歩いたと妹の報告でした。

 なお、芦東山記念館に芥川賞作家、ピースの又吉直樹氏のサイン入り色紙が飾ってありました。