・達谷窟
「観自在王院跡は昭和四十八年からの発掘調査で見つかったと有ったね、
俺達が生まれたのは平成十六年。昭和って何時まであったんだっけ。
六十三年、四年?、凡そ三十年前の調査か。
先生。何故あの王院跡は、毛越寺境内付、鎮守社跡って有るの?」
(車が)走り出すと、千田の質問が来た。
先生と言う呼びかけに苦笑いだ。
「まず、境内付じゃないよ、『境内 付けたり』だ。
毛越寺は藤原基衡、秀衡の親子に依って建立された。
またまた吾妻鏡だよ。(観自在)王院は基衡の妻が夫、故人を偲んで十二世紀半ばに建立したと吾妻鏡に有るんだ。
だけど折角の建造物、伽藍も一五七三年(天正元年)の戦火で無くなっているんだ。
焼失してからの跡地はずーっと田んぼだったらしい。昭和に掘り起こされるまで凡そ四百五十年、水田に成っていたらしいよ。
実際に目に見て如何?。車宿の在った位置から見て、王院は毛越寺と一体をなしていたと理解して良いんじゃないの?
境内付けたりと言うのも俺は賛成できない。王院跡は毛越寺正門から一分だよ。
観自在王院は毛越寺そのものだよ。一帯をなすものだと俺は理解しているね」
「カッコ良い。小野田説かな」
「いや、その理解で良いんじゃないの」
佐々木までが話に参加した。
俺が付足した。
「(観自在)王院跡は、平成二十三年、二〇一一年六月、「平泉―仏国土(浄土)を現す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成の一つとして世界遺産に登録された。
大・小、二つの阿弥陀堂だった。
今に、それが残っていたらと思うと、残念に思うね」
達谷窟の道案内標識板も出てきた。気になるのは時刻だ。腕時計は四時四十五分にもなっている。
千田も気にしていたのだろう。
「もう、四時四十五分だよ。
(達谷窟の)拝観時間が確か五時迄と覚えている。
入れて呉れるのかな?」
「思ったより毛越寺の見学に時間が掛かったからね。
兎に角、寄ってみよう」
「いや、無理する事無いよ。
またいつの日にか、来ることも有るよ。二人が居るのだからね。
絵図付き、紹介付きでネット(インターネット)でも大体の事は分かる。
(達谷窟は)大槻玄沢と直接関係はないんだろう?
厳美渓の方は?」
「(関係が)有る。良し、このまま厳美渓に行こう」
話しているうちにも右側に達谷窟が見えて来た。観光客がいつもより多いと思う。
少しばかり速度を緩めた。
「あれが顔面大仏と呼ばれるものだ。岸壁は三〇メートルは有るのかな。
顔だけで3,4メートルはある。
明治の頃の地震で胸から下(下半身)が崩落してしまったのだそうだ」
(車の)窓ガラスを開けてみる佐々木だ。
「側に少し見える屋根と赤い柱(が在るの)が達谷窟の毘沙門堂だ」
それだけ言うと、アッと言う間に通り過ぎた。後ろにも車が続いている。
俺の説明に千田が続けた。
「坂上田村麻呂が京都の清水寺を真似て創ったと伝わって(い)るよ。
修学旅行で見た清水寺は立派だったけど、ここの御堂はまさに断崖絶壁にへばりついている。それが良く分かる。
毘沙門天を祀っているんだ。中は撮影禁止だ。
国の史跡に指定されている」
今度は、俺が千田をフオローした。
「坂上田村麻呂は、平安時代の公家だよ。
藤原三代、平泉が賑やかになる前の話だね。
詳しい事は分からない。田村麻呂が陸奥守とか何とかとなって西暦八〇〇年頃に東北に来た。蝦夷地討伐に来たことになっている。
宮城と岩手のあっちこっちに(坂上)田村麻呂にまつわる話が残されているね。
平安時代、今の宮城県多賀城市に(御上の)鎮守府が有って、そこに二十代の頃から田村麻呂は来ていた(赴任していた)らしい。
やがて桓武天皇の時代に陸奥守となり将軍にもなり、蝦夷征伐の指揮を執っているんだ。
戦の神様として坂上田村麻呂を祀る八幡神社や、御神楽、獅子舞などの民族芸能にその名が出てくる。
鹿の頭にも似た「鹿頭」を被り、長さ三、四メートルもあるササラと呼ばれる竹製の物を二つ背負って踊る鹿踊りなどはその代表的なものだ。
鹿のうち叩く太鼓の音と勇壮な踊りは何時見ても飽きない。群舞が最高。見て居るだけでも(己の)身が締まるよ。
田村麻呂は、(奥州)藤原三代以前に胆沢城を造った、そこに蝦夷地の阿弖流為が降伏して来たという史実の影響が強く残っている地域だ。
(源)頼朝が鎌倉に帰る途中に、ここ達谷窟に寄ったと吾妻鏡に記録されても居る」
「そこまで知らなかった、流石先生だね」
「茶化すなよ。
胆沢は、今の奥州市の辺りになる。水沢(市)、江刺(市)、前沢(町)、衣川(村)が合併して出来たのが奥州市だ」
厳美渓が目の前だ。
「いや、マジで感心しているんだ、なあ、佐々木」
同調を催促された佐々木だ。
「俺は、元々知らないよ
でも、聞いていて面白い」
「同じ地域に住んでいても、先生と違って知らないことが多いね。
そう、そう、達谷窟はお寺だと思って居たのに、毘沙門堂に行くのに一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居を潜るんだ.
(前に)遠足で見たけど、引率した先生に聞いても、言っている事が理解できなかったよ」
千田の話が、達谷窟にすり替わった。
「途中、不動明王を祀っている御堂もあるけど、面白いのはその先、毘沙門堂の正面にある弁天堂だよ。
蝦蟇が池と言う中に有って、橋を渡るようになっているんだ。
御本尊の弁天様は蝦蟇ガエルに化けた貧乏神を喰って人々を救ったとかで、頭のてっぺんに白い蛇を乗せている。
驚く姿だけど、商売繁盛を願う人々の信仰を集めていると言うのはそれで納得できる。
また、ここの弁天様は知恵の神様、技芸の神様としても知られ、芸能人、それを目指す人達に人気が有るとも聞いて(い)る。
そこまでは良いんだ。だけど、弁天様(女神)はやきもち焼きで嫉妬深いんだそうだ。
橋を渡る手前に、『仲良き男女は別々にお参り下さい』、と書かれた立て看(看板)が有るんだよ。「女」の字は態々赤くしてある。
全国、何処にもない立て看だね」
