「明日行く、千田の家の辺りを地域の呼び方で東山と呼ぶだろ?。
鎌倉時代にも東山と呼んでいたらしいね。東山川崎とか、東山長坂とか、東山大東とかね。東山は一関から北東部の、昔(明治十二年の行政区画)の東磐井郡に属する所らしいね。
常胤の嫡男胤正と孫の成胤、その子孫が土着して今の岩手県南、宮城県北の千葉さんになったらしいよ。
「うん。それも知らなかった。
午前(中)に、車の中で聞いていて驚いたよ、
千葉介常胤なんて名も、初めて聞いたね。
家の辺りが鎌倉時代にも東山と呼ばれていた何て、それも知らなかった。
小野寺、大したもん(の)だよ。
医学医療の勉強の外に、何処にそんな調べる時間があるの?。
歩く道、間違えたんじゃないの?」
「ハハハ、冗談は止せ。
歴史物を調べるのは、確かに俺にとっては息抜きになるよ」
佐々木が言った。
「息抜きの域を超えてるよ」
思わずニヤリとしたが、毛越寺の話に戻した。
「その吾妻鏡にね。毛越寺の事を「吾朝無双」と書いてあるんだ。
「無双は分かるけど、どんな字?、どんな意味?」
「わがちょうは、吾の字と朝の字だ」
「あっ、分かった」
千田の言うに、構わず続けた。
「毛越寺の阿弥陀堂(金堂)は円隆寺と言ったらしいね。
金銀散りばめられたその円隆寺の荘厳さを表現するに、我が国に並ぶ物がないという意味で「吾朝無双」の表現で評している。
金色堂を思い出してみてよ。あの黄金の輝きの堂を初代、藤原清衡が作っているんだ、その息子、基衡、孫の秀衡がより最盛期を迎えた時の円隆寺、建造物の整備だよ。
金銀ちりばめて有った、紫檀黒檀に螺鈿細工、彫、彫刻等で飾られていた、その荘厳さを「吾朝無双」の四文字で語っているんだね。
火事で円隆寺を焼失してしまっているけど、残念としか言いようがない」
背景の山々と樹齢を重ねて風情を感じさせる松や杉の木立に大池、その眺めの良さに思っても居なかった長話にもなった。(毛越寺の)中を歩こうと誘った。後ろに宝物館とある建物には一周して来て最後に寄ることにした。
まずは近くもある、芭蕉の句碑の有る所に案内した。有名も有名、あの「夏草や 兵どもが 夢のあと」の句碑がある。芭蕉翁の銅像もある。
だけど俺には、義経達が毛越寺に帰って来たと聞いて駆けつけた藤原秀衡だったろうけど、芭蕉がこの毛越寺で「夏草や・・・」の句を思ったとは思われない。
俺は、中尊寺も毛越寺も見た芭蕉翁があの高館(高館義経堂)に立って、眼下に流れる衣川とそれを受け入れる北上川と、彼方に見える東稲山(一関市に有る経塚山、音羽山、束稲山の三つの山の総称)の牧歌的な風景を見ながら、余りにもある世の栄枯盛衰のギャップを実感しながら、正に「夏草や・・・」の句を現したと覚えるのだ。
句碑を前に、千田は学校の国語の時間に習ったねと言うも、佐々木は感想も口にしなかった。
伽藍の在った所に礎石等が残っていて、当時の建物の在った場所、規模等が発掘調査によって分ったみたいだよと、歩きながら佐々木に説明した。千田もまた聞き役だ。
本堂を前にして言った。
「毛越寺の山号は医王山だ。医者の医に王様の王。
名の通り、薬師如来を本尊にしている」
「中尊寺よりも俺達に関係あるか。
念入りにお参りしよう」
千田の言葉に、思わず笑みが出た。
三人揃って本堂に向かって合掌した。側に、堂内特別拝観ご希望の方は左手玄関よりお入り下さいの立て看が有ったが、後の時間の事を考えて俺はスルーした。ゴメン、本尊の周りに日光菩薩、月光菩薩、守る四天王が安置されているんだと心の中で説明した。千田も佐々木も何も言わなかった。
[付記]:6月1日~2027年3月まで千葉県の開府900年記念事業が予定されています。千葉介常胤の木像、座像が、お城の千葉市立郷土博物館、玄関口で迎えてくれると思います。お出かけになってみてはいかがでしょうか。交通の便良し。
小生は9年前、処女作「サイカチ物語」を執筆するに当たって、同博物館にお邪魔しています。2階、3階の展示品を見ながら、必要な資料を2,3購入しました。3階の窓から見える太平洋の眺めの良いのを今でも覚えています。
