「その良永の残した功績も凄いよ。良永はオランダから輸入された様々な書に目を通し翻訳し、自然科学、天文学にも詳しかった。   

     コペルニクス(ニコラウス・コペルニクス)の地動説を翻訳し、日本人の誰もが地球図を改めて見るようになる。また、惑星を知ることにもなった。

     惑星は良永の作った翻訳言葉なんだよ。地球も火星も水星も木星も、金星も「惑星」となぜ翻訳したか、その理由を書き残しているんだ。

     それが面白くも思えて俺は暗記している。

「オランダ人がこの天体を惑星(・・)と名付けた訳は、この星ここに在るかと見ればかの地に()り、天文学者はその位置の計算に(まよ)い、(まど)える、だ」

「人々が星を見てきれいだと夜空を見上げる時代に、宇宙(うちゅう)を見ていた、考えていた。

天体を語っていた何て、凄いね」

     千田が言えば、佐々木は頷く。

「玄沢は、滞在期間中に有った良永の息子の結婚式に参加している。

    その息子、本木(もとき)正栄(まさひで)は後に江戸に出て日本初のフランス語辞書や英和辞典を作ったりもしているんだ。

    正栄はオランダ語、フランス語、英語、ロシア語に堪能していたと言うから驚きだね。

    玄沢よりも若いのに文政五年だったかな、一八二二年の春に玄沢よりも先に死んで(い)るんだ」

「勿体ない人材だったね」

 佐々木が言うに、俺は続けた。

「勿体ない人と言うか、玄沢は驚く人物とも知己を得てもいる。

    志筑忠雄だ。

    志筑は良永の所に親しく出入りしていたんだね。蘭語を学ぶのは勿論だけど、自然科学、天文物理も教えて貰って居たんだ。

玄沢は、良永の前に同席することも多い志筑と、自然、親しくもなったんだね。

 実家(商家中野家)だと聞く志筑の住まいを尋ねるようにもなっていた。

    若い二人だ。夜を徹して話すことも、議論することも有ったみたいだよ。

    雑魚寝(ざこね)したこともあるみたいだ。

    そうそう、物理学の事を、当時は(きゅう)()と言った()()

「どんな字?」

「ウカンムリの(きわ)めるという字に、理科の理。

 物事を突き詰めると言う意味に成るね」

 千田も佐々木も頷いた。

「俺達は、引力や遠心力、求心力、重力などと言った物理の法則言葉を無意識に使っているけど、それらは志筑忠雄の翻訳言葉、造語なんだ。

 道理や法則を理解しないと翻訳言葉も考えられない、出て来ないよね

 志筑忠雄も、あの時代(江戸時代)に宇宙(うちゅう)にも感心を抱いていたんだよ。

 天文物理の法則を理解し、万有引力のニュートン(アイザック・ニュートン)や、惑星は太陽の周りを歪んだ円を描きながら、楕円形の弧を描きながら始終動いていると語ったケプラー(ヨハネス・ケプラー)を日本に初めて紹介しているんだ。

 その紹介している志筑の翻訳本を(れき)(しょう)新書(しんしょ)と言うん(の)だ。その中に蘭書の一部を玄沢が翻訳して挿入する約束をしていたらしいね。

 だけど、考えても見てよ。良永や志筑から少しばかり教わっただけで玄沢が天文物理が事を翻訳出来る訳が無いんだ。

予め玄沢に天文の知識や物理の基礎知識が有ったと聞いた事がない。

 玄沢には天文や地理、測量に詳しい友人に(はざま)重富(しげとみ)という人物が居るけど、それは長崎から帰った後も後、遙か後に出来た友なんだ。

 歴(れき)(しょう)新書(しんしょ)の一部に翻訳されいままの箇所がある。それが大槻玄沢の所為(せい)だと今に専門家が指摘している。志筑から玄沢に当てた翻訳を催促する手紙が残されているらしいんだけど、俺はまだ確認できていない。

 ただ、専門家の指摘を素直に聞けば、志筑忠雄と玄沢が如何(いか)に親しい間柄だったかという検証になるよね。

 志筑忠雄の事で驚くのはそればかりでは無いよ。俺達は江戸時代を言うに、学校で鎖国時代と習ったろ。その鎖国(・・)と言う言葉も、志筑忠雄の造語(翻訳言葉)なんだよ。

 出島に来たケンペル(エンゲルベルト・ケンペル)というドイツ人の医者。彼は就職活動をしてオランダの東インド会社の船に乗る医者として雇われたていた。それで、出島にまで来たんだね。カピタンの江戸参府に二度も随行している。

 江戸と長崎を行き来する間に日本の諸国を観ているんだ。よく観察しているんだね。彼自身の書いた「日本誌」の中で、諸国と交易もせず、また、聖職的な皇帝と世俗的な皇帝の二人の支配者が居るにも関わらず庶民は平和に暮らしている、と日本をヨーロッパに紹介しているんだ。

 聖職的な皇帝が天皇であり、世俗的な皇帝が将軍だと俺達は直ぐ分かるよね。

でも、良く観察しているなァと思わない?」

「それって、何時の時代なの」

 千田が聞くに、佐々木も頷き、次、と促す。

「徳川幕府、五代将軍、綱吉の時代だよ。

 ケンペルは千六百年代も終わり(一六九一、二年)に江戸に来て将軍に謁見してもいる。その場で西洋の踊り、ダンスも自ら踊って披露しているらしいね。

 それから凡そ百年も経って、オランダ語に翻訳されていたケンペルの日本誌を志筑忠雄が入手して翻訳しているんだ。志筑の「鎖国論」という本だね。

 志筑が鎖国と言う言葉を造ったのを、吾々が今に耳にも口にもしているんだよ。江戸時代は鎖国時代なんだ。

 加えて言うとね。志筑忠雄は鎖国(の状態)を肯定しているんだ。日本を紹介するに、諸国と交易もせず庶民は平和に暮らしているとケンペルが書いた所為(せい)もあるのだろう」

「小野寺は歴史好きだね」

ニコニコしながら、千田が断言した。