「驚いたよ。舟越(ふなこし)(やす)(たけ)さんと言う同じ岩手県出身なんだ。

 同郷の(よし)みと言うか、途端に親近感を覚えたね。

    盛岡中学(岩手県立盛岡第一高等学校の前身)を出て東京美術学校、今の東京藝術大学彫刻家科に進んだ。そこで(あと)の生涯、友となった佐藤(さとう)(ちゅう)(りょう)さんを知る。  

     舟越さんは、佐藤忠良と共に戦後の日本彫刻界を牽引した人と評されている人物だよ。

     俺が中学生の時、藤沢町(一関市藤沢町)に大籠キリシタン殉教公園が有ると聞いて友達何人かで行って見た。町中には隠れキリシタンの里とかって看板も有ったね。

公園の中にあるクルス館と言う建物等は船越保武さんが設計したのだそうだ。

     勿論、館内に舟越さんの作品が展示されている。キリスト像にマリア像などが有った。

    舟越さんの、観る人に呼び掛ける色紙も飾られて有ったよ」

「知らなかったな。同じ一関市でも合併、合併で出来た市だもんな。 

(芦)東山(とうざん)記念館を観てよと言ったけど、藤沢(町)の事、知らなかった。

    良い話だね。長崎は遠いけど、船越さんの作品の一つを身近に見ることが出来そうだね。機会を見つけて必ず行って見るよ」

「作品もそうだし、そのクルス館に至る坂道も、クルス館から見る景色も素晴らしいよ。

 ゴルゴダの丘を模して、十字架を背に処刑場に向かうキリストのレリーフが何枚にも渡って登る坂道に置かれてあるんだ」

「ゴルゴダの丘って?・・・

「キリストが処刑されたと伝わる丘だよ。イスラエルのエルサレムに有る。

 ネット(いんたーネット)で調べたら、ゴルゴダって、頭蓋骨(ずがいこつ)という意味があるらしいよ。驚いたね。

     故人である作家の遠藤周作さんや加賀乙彦さん、田中澄江さん等の寄せた言葉も何枚か石碑になって登る道々に有ったね。

 クルス館のてっぺんからは、三六〇度遮るものの無い山々の景色も見られるよ。

 話が()れたね。吉雄耕牛との関係で玄沢が一番に関心を持ったのは今で言うカテーテルみたいだね。

当時は排尿を助ける物としての用途で、耕牛は職人等と一緒にそれを造る事にも関わっていたらしい。

    また、当時、江戸でも流行っていたのが花柳病(はなやぎびょう)だ。玄沢は、耕牛が扱う性感染症の特効薬とされていた昇汞(しょうこう)(すい)(水銀を蒸気化した物)にも大いに関心を示している。

     それから、(長崎)滞在の途中からだけど、宿泊先ともなった本木(もとき)(よし)(名が)の所では翻訳の基礎から教わっている。

    前野良沢に五、五、六年も師事していたから、本木に初歩からと提案されたときムッとなったと思うよ。

だけど、通詞達の間で使われていた蘭語の会話集を見て驚いているんだね」

「玄沢が長崎に滞在していた期間って、一年、二年?」

「いや、半年ちょっとだね」

「えっ。そんなに短いの?

 それで蘭語(らんご)の翻訳が出来たの?」

「そこが前野良沢の教えなんだよ。

     良沢は、自分が長崎に遊学していた時に学んだこと知ったこと、江戸に帰っても自分で集めた蘭語とその意味など、己で知った物、纏めた物を惜しげもなく玄沢に教えているんだ

    良沢は文例を作っていた(和蘭(おらんだ)(やく)(せん))と前に言ったよね。長崎のサーメンスプラーカとよばれていた蘭語の会話集はそれをはるかに上回る物だった。実用的な文例が一杯あったんだ。

    良沢に文法も習っていたから、玄沢は戸惑いながらも単語の一つ一つの意味、解釈を(さぐ)る、(おぼ)えるで事が足りた。苦も無く会話集を理解出来たんだろうね、

    玄沢にとっては、先生、杉田玄白からの宿題でもあった医療用語などの専門用語の意味を理解する、今よりも翻訳出来るようになる、それが滞在期間の最も重要な事だった」

「聞いて(い)ると、最初から長く長崎に滞在する予定では無かったみたいだね」

 千田の言うに、そうかもしれないと今になって思いもする。

「実際、本木良永の所では解体新書の基になったターヘル・アナトミアという蘭書の外科専門の用語の解釈、翻訳に専念したらしいよ。

   玄沢に通詞、良永を紹介したのは耕牛だ。

   通詞と言うのは、出島や唐人屋敷に出入りを許されていた幕府公認の通訳官、今で言う外交官みたいなものだね。

だけど通詞は代々世襲で、来る和蘭人(おらんだじん)中国人(ちゅうごくじん)を相手に商売交渉の商務も兼ねて居たらしい。。

     調べたけど、良永はその頃、出島に出入りする小通詞助役(すけやく)だった。(天明二年から天明八年、一七八二年から一七八七年まで小通詞助役)

     通詞の傍ら、時折、診療もしていたらしいよ。元々長崎の御用医師(西松仙(にししょうせん))の子として生まれ、十三歳の時に母方の和蘭通詞、本木良固(よしかた)の養子となったんだね。

    医療にも医療用語にも基礎が有れば、西洋の医学書の翻訳も出来ていたと思う」

    千田も佐々木も頷きながら何も言わない。

「良永は、蘭語を教えるばかりでは無いよ。

    長崎の多くを知ってもらおうと、玄沢のために出島の出入りの許可証の確保に奔走したり、珍しい飲み物、食べ物等を口に出来るよう手配したりもしているんだ。

    玄沢はビールもコーヒーも初めて出島で経験するんだ。

そうそう、出島で初めて黒人(こくじん)を見たらしい。

(くろ)()を見た、と驚きの表現で(けい)()紀行(きこう)に書いているんだ」

 二人は聞く姿勢だ。

[付記]:藤沢町は筆者の故郷です。撮影禁止の標示が無かったので公開します。全て筆者の撮影です。なお、八月8(土)、9日(日)に藤沢野焼き祭りが開催されます。また、その会場傍、藤沢図書館前に建つ、故・岡本太郎氏の作品「縄文人」です。