「すみません。コーヒー三つ追加」

 傍を通るバイトらしい、先にも来た女性に声を掛けた千田だ。

女性は、振り返って軽くお辞儀をするにもはにかんでいるようにも見えた。

「ミルクと、お砂糖は?」

「俺、ブラック」

「俺も」

 千田だけが、ミルクも砂糖もお願いしますと応えた。

 女性が離れると、水も頼めば良かったと空のコップを手に、振る。

「続き、行こう」

 佐々木の促す言葉に、俺は少しばかり残っていたコップの水で喉を潤した。

「幕府の御殿医で、外科の法眼にもなった桂川甫周や良沢先生等に聞いて、何とか長崎に遊学したいと願っていた玄沢だ。

だが、それも一関藩から本藩である仙台藩への移籍話と絡んで実現した。その裏にも工藤平助の手配、世話が有ったんだ。

 玄沢は長崎に向かう途中、杉田玄白の紹介状や預かった手紙のお陰で京(京都)や大阪で著名な人に出会う。

後に江戸の学問所、昌平黌(しょうへいこう)の学長にもなった柴野(しばの)栗山(りつざん)や、前に話したね、大阪で六物新志の出版に関りの有る木村兼葭堂(けんかどう)、アリナミンでお馴染みの武田薬品工業のご先祖様、薬問屋の小西(こにし)長兵衛(ちょうべえ)などを知るんだ」

「えっ。武田薬品のご先祖?」

「うん、近江屋(おうみや)長兵衛とも言う。大阪の()(しょう)(まち)。そこは昔、軒並み薬問屋の有った所として有名なんだ。

行けば、現代にもその名残りを感じられる所だよ、

 また、長崎では阿蘭陀屋敷とも呼ばれていた吉雄耕牛の所で西洋の医術を習い、宿泊先にもなった本木(もとき)(よし)(なが)親子の所で天文や医学、物理(当時は(きゅう)()と言う)に係る蘭語の翻訳を習い、蘭語にも天文物理にも一生懸命だった志筑(ちゅう)次郎(じろう)()(づき)(ただ)()中野柳圃(なかのりゅうほ))を知るんだ」

 頷きながら、佐々木だ。

「吉雄耕牛、本木良永親子、志筑忠雄について知っている所で言い、教えて呉れるか。

 解体新書の序文の末尾に阿蘭譯官(おらんやくかん)西肥(さいひ) 吉雄(よしお)(えい)(しょう)と有った。それが、解説本で長崎に住む大通詞、吉雄耕牛(吉雄幸左衛門)の事だと知ったけど、大槻玄沢とどの様な交流が有ったのか知りたい。

 また、宿泊先にもなった本木良永親子の事も知りたい。

(れき)(しょう)新書(しんしょ)を書いた志筑忠雄、鎖国と言う言葉を残した志筑忠雄との交流も知りたいね」

「ちょっと待って。

 志筑忠次郎と志筑忠雄と、どう違うの?」

「同一人物だよ」

 千田の質問に答えた佐々木だ、

「お待たせしました」

 三人の前に、コーヒーカップが置かれた。女性は千田の前に置くときに、ミルクとお砂糖でしたねと念を押した。千田はコーヒーカップに目を遣ったまま黙って頷いた。

 正にブレイクタイムになった。

「もう少ししたら(ここを)出る?」

「そうだね・・・。小野寺、続き、続き・・」

 佐々木の催促に従った。

「大槻玄沢の長崎での事を知るには、玄沢自身が書き残した(けい)()紀行(きこう)が一番だよ、

 江戸から長崎に至るまでのこと(道行(みちゆき))だけでなく、行く先々で知り合った人々、エピソードを日を追って書き残しているんだ。

 瓊浦とは長崎の事だ。杉田玄白が、長崎出島のカピタン達の江戸参府の折に、弟子の大槻玄沢を長崎に遊学させる。その時に世話をして欲しい。外科書の蘭語の分からないところを少しでも理解できるように、翻訳できる様に指導して欲しいと大通詞(だいつうじ)、吉雄耕牛に頼んだみたいだね。

 玄沢は長崎で、初めて見る耕牛のオランダ屋敷に凄く驚いている。

 無理も無いよ。庭に見たことも無い南洋の植物が植えて有り、小動物が居て、屋敷に入ればステンド硝子(がらす)の入った色鮮やかな窓、壁には西洋人や船の絵が飾られてある。

 西洋の見たことも無い家具が揃い、陳列棚等に並ぶ物も見た事も無い珍しい物ばかりだったらしい」

「そこに居た小動物って、何?」

「チンパンジーかな。小猿だったような気がする」

 聞いた千田よりも、佐々木が頷いた。

「そのオランダ屋敷で定期的に蘭語の勉強会や西洋の医学医術を教える講義が有って、玄沢も参加したらしいよ。

耕牛が診察している所を見学させてもらった事もあるらしい。

 また、正月のある日に耕牛に呼び出されて寒風の中、玄沢は罪人の人体の解剖を初めて目にしているんだ。

 その見た場所は日本二十六聖人殉教の地として、今は長崎市の西坂町公園になっているんだ。去年の暮から正月の休み、田舎に帰らずそこに行って来たよ。

 二十六人は豊臣秀吉のキリシタン弾圧の始まりの犠牲者だ。(二十六人の)名が残されているが、その一人ひとりの人物像を造った人、彫刻像を造った人って誰だか分る?」

二人とも首を横に振った。