・能楽堂
表に戻ると、腕時計は正午を少し回っても居た。冷んやりとした風を感じる。
「どう?
世界遺産、藤原三代を堪能した?」
「うん。十分だね。この後、(義経東下り)行列が有るのだろう」
佐々木の返事に満足感を覚えた。横から千田が言う。
「(行列が)毛越寺を出る(出立)のは、一時半だったね。
さっき、館内を歩いていた人も、時計を気にしていた。
良い天気だから沿道にも相当な人が出てると思うよ。北風(北西の風)がこれ以上強くならないと良いけどね。
坂(月見坂)を上り始めるのは、(市の)広報誌で確か二時四十分とあったと思う。
俺も行ったことが無いんだ。レストランまで距離が有るの?」
「いや、そう遠くはない。それよりも先に、能楽堂に行こう。
まだ一度も見たことが無いんだ」
千田も、観た記憶がないなと言う。
「この先、釈迦堂を左に見て、反対側の右に曲がると能楽堂と神社が有るんだ。
神社は兎も角も、能楽堂を観たい。
昔から、神社の春の祭礼に能が奉納されていたらしいんだ。
その能を演じるのが、中尊寺一山の僧侶達と聞いて、正直、驚いたよ。
(俺の)親父が言うには、シテ役から、ワキ、囃子、狂言までも今の僧侶が行うのだそうだ。そんなの、京都にも全国何処にも聞いた事が無いからね。
平安時代に遡る伝統ある芸能らしい」
「へー」
佐々木の代わりに、千田の小さな声だ。
「演じられるのは明日(四日)の正午からなんだ。
それで明日は、午前中に(一関市)博物館に寄って大槻玄沢を探り、それからここに来て能を見て、文殊菩薩が安置されていると聞く経蔵等も見て回って、二日間、俺の所に泊まって貰おう、ゆっくりして貰おうとしていたんだ」
「うーん。それを聞くと・・・。
でも、さっき、決めたんだ。
明日は一関市博物館によって大槻玄沢の時代を探って、それから千田の生まれた大東町?、そっちに回ろう」
「・・・・。」
ここも綺麗に整備された参道だ。昨日の雨の水溜まりはない。
「(一関市)博物館に大槻玄沢を知るための常設の物って有るの?」
「それがね・・・。
俺達だって、大槻玄沢って誰?何をした人?、何処の生まれって、
養賢堂の大槻平泉がらみでそれを知るために今回、小旅行を計画しただろ。
連休中の博物館のスケジュールを市の広報誌で知って、正直、がっかりしたんだ。
佐々木が望む、大槻玄沢をより知るための物が無いんだよ。
関係する催しも予定されていないんだ。
この(五月の)連休にも、明日(四日の日曜日),明後日(五日の月曜日)に子供達を対象にして「江戸時代のうつし絵をつくろう」って催しがあるだけなんだ。
二年前の令和五年。二〇二三年だね。その六月に大槻家に残されていた関係資料、四〇四八点が国の指定、重要文化財になっているんだ。
人の多く来る今の時期にこそ、大槻玄沢を世に知らせるためのイベントが有っても良いなァと思っているのに、残念だね。
(一関)駅前の銅像を見て、大槻三賢人って誰、何をした人?で終わらせたくないんだ。藤原三代、義経、弁慶、(平泉)世界遺産は世間に知られているけど、江戸市中で知られた大槻玄沢の名が、ローカルすぎるよ」
千田も沈黙したままだ。
「杉田玄白は、出版を急ぐ余り翻訳が不十分と分かって居ながら解体新書を出版した。
改訂の必要があると思って居た玄白は、最も信頼する弟子である大槻玄沢に改訂を託したんだ。
玄沢は凡そ十年もかけて、江戸に在って「解体新書」の改訂に取り組んだ。
解体新書が本文四巻、解剖図一巻なのに対して、「重訂解体新書」は実に本文十三巻、解剖図等の図版一巻にもなっている。
蘭書の医学書(ターヘル・アナトミア)の教える所を改めて詳細に翻訳し直し、解体新書で為しえなかった蘭書の注意書きや備考欄をも翻訳したと伝わっている。
当時の西洋医学を学ばんとする者等にとって、重訂・解体新書は人体の構造を教え、一つの臓器がどの様な機能、役割を果たしているかを教えてくれる実に貴重な書だった。
明治(時代)になってね、大槻玄沢没後五十年の追悼式典(追遠会)に出席した福沢諭吉、あの慶応義塾大学創始者の福沢諭吉が、「前野良沢、杉田玄白、大槻玄沢が居なかったら、日本の西洋医学の発展は無かったと言っている」
俺も医学生だ。解体新書や重訂解体新書に見た人体の絵柄を思い出した。話しているうちに自分でも熱くなってくるのが分かる。
能舞台が見えてきた。杉木立を背景に、藁ぶき屋根た。平泉も一関も稲作地帯だったと昔を思わせるに十分な造りだ。
「屋根が藁ぶきなんだー。
藁ぶき屋根の能楽堂って、全国、他に有るの?」
千田の聞くに、さあーねーとしか、応えようがない。
「古式ゆかしい、年代物の舞台って感じだね」
佐々木の感想だ。
明日のために何か準備がされているのかと想像していたけどそれらしいものはない。舞台と観客を隔てる白洲周りに低い柵が設置されていた。
舞台の正面に立って観ていると、能が有る(演じられる)のは明日ですよと、平泉と染め抜かれた法被姿の方が声を掛けてきた。
他にも観光客が居たけど、俺達三人が日時を間違えてここに立っていると思ったらしい。そのお礼を述べると、皆さんは、明日の朝に用意する敷物の上に思い思いに座り込んで能を観るのだと語る。千田が椅子?、座布団?と確かめた。
法被(姿)の古老は座布団を用意すると回答したが、何時も足りないと言って苦笑した。そして、この能舞台は嘉永六年、一八五三年に伊達藩によって再建された物。平成十五年(二〇〇三年)に国の重要文化財に指定されたのだと説明してくれた。
思っても居なかった事を聞きもして十分な満足感を覚えたが、聞かずに居られない。
「風物詩ともなった(中尊寺の)夏の薪能は今年も開かれるのですか?」
「んだ(そうです)。今年も狂言師、野村万作さん、能楽師、佐々木多門さんの予定だー。
お二人とも忙すかんべ(お忙しい方で)。来年の予定を何時も先に入れて貰っていんのっしゃ
明日の能(舞台)は無料だども、毎年八月十四日(旧盆)の薪能は有料なのっしゃ」
笑い顔で語って呉れた。三人が改めて一緒にお礼を述べてお辞儀をすると、何時の間にか傍に寄っていた観光客までもがお辞儀をした。
「参拝して行こう。ここまで来て神社の方に寄らないと言うのは後味が悪い」
佐々木の言うに、千田も俺も頷いた。
能楽堂の後ろに在る白山神社は小さく素朴な造りだ。無病息災を祈願するための茅の輪が真新しい。
