五 高館義経堂
またまた無料だという駐車場に停めた。高舘は東北本線を跨いで直ぐの所だ。平泉駅と前沢駅の間に成るが、勿論、平泉駅に近い。
平泉(町)は随分と気前がいいなと思って歩いていると、先に行った千田が声を投げてきた。
「階段がこんなに立派だったかな。
三、四十段は有るよ」
佐々木と顔を見合わせた。
「観光地によっては、横にエスカレーター設置しているところもあるね。
お年寄りが増えたからね」
俺も何処かの観光地で確かにそれを目にしている。階段の左にある高館義経堂の標識には小さく「源義経最後の地」ともある。その周りの植え込みには少しばかり新緑が混じっていた。
上った境内は前に来た時と変わり無い。後姿を見せる先客が多く居た。義経堂も芭蕉の句碑も見終わったのだろう。高台から見えるだろう遠望に指さす人も居る。まだ土色の勝った田園地帯が続く右の方角に北上川が見えるはずだ。
御堂の中の義経像は兜をかぶって立ち姿に有る。だが、ここにきて俺が何時も思うは弁慶の立ち往生だ。何本の矢が弁慶の身体に突き刺さったのだろう。主人を守るために身を投げ打つ。正に忠義の典型だろう。
「自害した義経の首は塩漬けにして鎌倉の兄、頼朝が下に届けられた。
だけど身体は判官森に、土地の領主である沼倉小次郎高次によって丁重に埋葬されたとそこまでは知っている。
でも、弁慶のお墓は何処に有るの?」
「ここに無い。(弁慶のお墓は)中尊寺の中だ。
首の無い義経(の身体)は判官森だなんて・・、良く知って(い)るね。
場所がどこに在るかも知ってるの?」
「(平泉から、凡そ)三〇キロも離れた栗原(栗原市)だろ。
くりこま高原の一角、元在った栗駒小学校の裏山の小山と聞いている。
勿論、行ったことは無いけどね。親父に教えられた」
「へー、知ってんだ」
「ハハハ、俺の祖先、祖祖父も一関の生まれだ。言って居なかったっけ?
祖父も祖母も、親父も俺も、ついでに言うと俺の母も東京生まれだけどね。
親父は親父で、俺にとっては祖父、爺さんに連れられて何度か一関に里帰りしていたらしい。
俺も親父、母と一緒に一関に来たことが有るらしいけど覚えていないんだ。
乳飲み子の時だったと聞くから、覚えていないのは当たり前だけどね。
歴史好きな親父は、祖々父、祖父から一関に伝わる話を聞きもしていたのだろう。
また、流行りのビデオ?、そのビデオでNHKの大河ドラマ、義経を収録していた。
俺が中一の反抗期に学校をサボルようになったら、不登校だね。何もすることが無いならビデオでも見たらと親父だった。
小言も言わず、今に思うと、言いたい事も叱りたい事も一杯あったのだろうけど、親父は経営の傍ら、診療の傍ら(俺には)小言らしいことを何も言わなかった。
長いドラマ(二〇〇五年放映、NHK大河ドラマ「義経」、原作は宮尾登美子、脚本は金子成人)を何日か見続けて、何時しか釘付けになって見ていたね。
一ケ月も経ったある日の夜。仕事から解放された親父に、見終わったと伝えた。
普通だったら感想を聞くのだろうけど、黙って受け取った後に祖父に教えられた事だと親父の口から沼倉小次郎高次の名が出た。それで覚えて(い)るんだ。
領主であり、義経の影武者を勤めた人だと言うんだ。驚きもしたけど、言ったのはただそれだけだった。ドラマの中に、沼倉小次郎(高次)なんて出て来ない。
兄の頼朝と弟の義経との間に考えの違いも、行動の諍いも有ったのだろうけど、二人以上に俺の印象に残ったのは沼倉小次郎と言う名と弁慶だ。
実際の史実が如何あれ、弁慶が安宅関(石川県、小松市)で主人、義経の逃亡を助けんがための場面、勧進帳の場面を良く覚えている。
心で泣きもしなが叩きもし、足蹴にしてまで疑いを解く場面と、最後、平泉での戦。何本もの矢が身体に突き刺さっっても主人を守ろうとする弁慶の立往生。その場面が良く記憶に残っているんだ。
白髪が混じるようになった親父だ。ビデオを通して何を言いたかったのか、今も分らない。家族でめったに一緒に夕食を囲むことの無い親父、家族と何処かに出かけたことも碌に無い親父だ。だけど俺は、その事が有ってまた学校に行きだしたよ。
親父にとって、患者さんは何時も義経なのかもな。
世界遺産の中に入って居なくても、ここに連れて来て貰って、正直、良かったよ」
佐々木の過去の一面をここで知るとは・・・、それこそ思っても居なかった。患者を義経に例えるなら、医者は弁慶と言う事か。
「ここから見える景色に、芭蕉は昔が思われたんだろうね」
寄って来た千田の言うに誘われて、佐々木も俺も移動した。
芭蕉の句碑が離れて左側に有る。夏草や兵どもが夢の跡。その石碑の下の部分に、「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり・・」、と奥の細道に載る一節が彫られてある。
「俺は、奥の細道の一節でどこが好きかと言えばここよりもやはり冒頭だね。
月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり、ってあるだろ。李白(中国の唐時代の詩人。七〇一~七六二年)の詩(春夜宴桃李序)に借りているらしいけど、高校(生)の古典の授業でこれを知った時、ショックを受けたよ」
佐々木が言う言葉にこそまた驚いた。
高校生にして、人の生涯を遠望した例えを理解することが出来るなんて・・・、彼はそれ以上の事を何も言わなかった。