二十八 跡目相続人はまだ二歳
環海異聞と(書の)名を決めても文面の加筆修正と編集に必死だ。一度(版木の)彫りを頼んだれば、後に字面を変える事など出来ない。費用が嵩むだけで、無い袖を振れぬ。
暮なれば銭金に人は動くと聞くが、吾は編纂が作業にも金勘定にも音を上げている。胃がキリキリと痛み出すのだ。
暮の瓦版らしく、正月を迎えるための呉服をと男用にも女用にも奨め、また、お茶だの薬だのとやたら宣伝文句が並ぶ。近頃の瓦版はこの様に有るか。御上(幕府)はとうとうオロシヤ船打ち払い令を発布したとある。
砲撃等を以て清朝、朝鮮、琉球以外の船は追い返せ、異国の者が上陸したら逮捕せよ、処罰せよとある。誰がために書いた瓦版かと思いもするが、それがために今に蝦夷地に置かれた各藩の御侍様はご家族と離れ離れ。本人達とて経験したことの無い寒さの中で冬を越すのかと吾ながら遠くの蝦夷地を思いもすれば心配もする。
桑原様(桑原隆朝純(純明))は、源四郎の妹御二人(拷子、照子)が今にどの様に有るかなど、急ぎ工藤家の事情を改めて調べもしたのだろう。
また、御国許(仙台)に在る只野様(只野伊賀行義)が御内室(工藤あや子)にも御相談されたのか、御意見をお聞きしたのか・・・。
医者溜まりの大火鉢を前に桑原様と吾の二人。源四郎が後は、倅、如則殿の御次男、管治殿(二歳。長男は如広)に決まったと、聞かずとも語るをそっとお聞きした。
如則殿は親が元気なれば吾の玄幹が同様に(仙台)藩の見習い医員の身に有り、まだ部屋住みに在る。となれば考えるに、子(管治)が親(如則)よりも先に当主(工藤家)の座を得たことになる。
これもまた、跡目相続は男系男子を旨とする古来からの決めごとの尊重に有るか。管治殿が無事に成長される事を願いしも、何とも評し難い。
(参考図―令和八年四月二日、筆者作成。桑原家と工藤家、只野家の姻族関係図)
後三日もすれば新しい年が始まるかと、日を数えた。
