二十一 永代橋の崩落

「大変です、大変で御座います。いやー、吃驚(びっくり)しました。

 話は(まこと)の様です。今も皆々が、大変だ、大変だと口にしながら駆けています。

橋を見に行く、皆々がそう言って走っているのですから間違い無いでしょう」

「言ってることが分からん。何が有ったと言うのじゃ」

 気分転換にと呼び(りん)も使わず台所に顔を出せばお京の慌てふためいた姿だ。妻(タホ)も小春も炊事の手を休めて声の方を見しも、キョトンとしている。

 吾とて、お茶を新しく()れてくれと言うよりも質問が先になった。

「橋が、永代橋が()っこったとの事です。

 あの大きな永代橋が川に崩落したとのことに御座います。

 今日は八幡様(深川八幡)のお祭りでしょ。町々の練り物、踊りを見ようと見物に出ている人も多く御座います。

橋が落っこちた。人も落っこちた。(事故に遭った方々が川に)流されているとの事でした。

 それで皆々が現場に向かって走っているとのことです。

 街中は大騒ぎですよ。現場に向かう人で大騒ぎです」

 それだけ聞くと、走り出したは末吉だ。

 

 詳しい情報を知るには、数日経とうとも瓦版だ。末吉が買い求めて来た瓦版にて永代橋崩落事故の顛末を知る。

 深川八幡の祭りが八月十五日から十九日に変わったのは雨天のためだと分かっている。だが、街々各々の氏子同士の争いから三年に一度の祭りが十二年振りになったのだとは・・・、初めて知る。

 江戸の三大祭りの一つだ。久しぶりの開催に江戸市中は言うに及ばず、近在からも見物人が殺到したらしい。昼四つ時(午前十時)に(れい)(がん)(じま)(現、東京都中央区新川一丁目)の練り物、山車(だし)が永代橋の東詰め迄()りしに往来が滞り始め、橋の上は端からは端まで群衆で埋め尽くされたと有る。

 橋の真ん中より深川方面に三間(さんけん)寄りたる所が突然崩落した、後に続く見物人はそれも分からず押すな押すなでいやが上にも川(隅田川)に重なり落ちる。溺れるだけだったと有る。助かりしはまれで死んだ者一五〇〇人余とも。誇張が入っていようと大変な人数だ。

 駆けつけた家族、友人知人は数知れず、現場に近い新大橋は急遽通行止めになり、身内の消息を知らんと両国橋を渡り来る者、昼夜引きも切らずだったと有る。

(新大橋は隅田川に掛かる橋として両国橋に続き三番目に造られた橋。最初に造られた(一六九三年)元禄の世から新大橋と呼ばれていた)

 番所等の御役所はと言えば、水中から死骸を引き上げ老若幼少、男女に分かち大路(おおじ)に積み置いたと有る。心当たりの有る者、家族等が尋ね来たりて泣く泣く野辺の送りを為すと有る。何とも痛ましい。

 時期が時期だけに腐敗が進み、異臭が漂うとは・・・。貧しさゆえに葬儀もままならぬ家族にお救いの物(たま)わるとあるは、それこそ救いか。

(太田南畝が、後に永代橋の崩落事故を基にした「夢の憂き橋」を出版。現代に残る)