オロシヤもまた国益を上げんと、ヨーロッパ同様に世界に目を向けていました。国を挙げて世界の国々、島々、未開の土地等に掛る実地調査、探検に取り組んでいたのです。

 かつて日本から信牌を得てもいる。交易が可能になるだろうと考えるは当然の事だったでしょう。

 オロシヤの王様は、艦長にクルーゼンシュテルン、親日使節にレザノフを選び、ナデジダ号と言う軍船(ふね)をペテルブルグの川に続くカナスダと言う港から送り出したのでした。

 凡そ八十人も乗る船ですよ。船に大砲が据え付けて在るばかりでなく、生きている豚や馬なども一緒だったと聞いて驚きました。

 軍船(ふね)の目的の半分は国々、島々、未開の土地等に掛る調査に有りましたから、漂流民四人は船の進むままに己の命さえ委ねるしかなかったのです。

 ナデジダ号は長崎からオロシヤに帰るに日本海側を北上しております。日本近海、サハリン((から)(ふと))もまた探検調査の範疇に有ったのでしょう。オロシヤ人は長崎が入江や街を絵に描いていた、遠眼鏡で見ても居たと漂流民に聞きもしておれば納得する所でも御座います。

 話が長くもなりましたが、後で世界絵地図でも御覧下され。去年に山村才助殿が世に表した「()()一覧図」で日本近海が知れましょう」

(参考図―国立公文書館所蔵、山村才助(昌永)の「()()一覧図」)

 「いやー、正月早々、面白い、良い話をお聞かせ頂いたの。

  去年の秋に志村殿が仙台に帰っても居ったれば、一人、纏めるに実に大変だったで御座ろう」

 「セキドウとは?」

 桑原殿の慰労の言葉の後に、かつて堀田様が質問したことを倅殿(桑原如則(くわはらゆきのり))も口にした。

その説明をしたれば思い直しもした。今に語りし事どもは御屋形様に(環海異聞を)献上するが前なれば、ここに居る三人が知る事に留め置かれよとお願いした。

「勿論のことに御座るの。

 良い話を聞きもした。

 御屋形様に献上の後、その公表とやらの段取りを何ぞお考えか?」

「はい。何事も問題なく堀田様のお目に叶いますれば、先ずは補遺の奏上と共に環海異聞が稿の一揃えを御屋形様に見て頂く(献上する)ことになりましょう。

 主は(環海)異聞の文面を読みながらに理解をより助ける絵図を見ることが出来ます。

その後になって、世間に公表せんと吾と版元との相談事になります。

 何分にも本文、絵図を合わせて半端ない、相当な量に御座います。

 かつて書きもして多くの江戸市民等の知る所となった蘭学(らんがく)階梯(かいてい)蘭学佩觽(らんがくはいけい)が量に御座いません。()りに()りとて凡そ一年も要するのではと思っても御座います。

 来年の春になって、やっとに桑原様にも「環海異聞」を拝見して頂くようになるかと存じます。

 今も漂流民が行きもした国々や島の位置、気候風土等を知るに、天文方の間重富殿に大変お世話になっている所に御座います」

 吾は環海異聞の序例附言として、「地は北墨(きたあ)()()()洲の属島に始まり、亜細亜(あじあ)洲、欧暹(よーろっ)()洲、亜弗(あふ)()()洲、南墨(みなみあ)()()()洲の五大洲方を遍歴して地球の四面環海一周し、驚涛(きょうとう)九万里を(しの)ぎ、(ふたたび)我が東方に帰朝せし。前代未聞未曽有の一大奇事にして、上下古今剖判三千年来絶えて無き所の奇話異聞なり。命を受けて此編纂環海異聞と題せしもこれが故也」と書き記すつもりでいる。

 

[付記]:小生の小説をお読み下さっている皆様にお願いが御座います。この五月中頃を以って小生のブログ投稿を一旦中止させて頂きます。ご理解のほど、宜しくお願い致します。

 理由は、今にブログに投稿している「小説・大槻玄沢抄」は、とうとう己の執筆に文献調査が追い付かない状態になってしまったからです。

 これで良し、投稿できると自分なりに納得出来るのは、仙台藩の養賢堂の改革、再建を目指して文化五年夏、大槻民治(後の大槻平泉)が江戸を出立するところまでです。大槻玄沢や幕府若年寄であり幼い仙台藩主の後見人である堀田正敦が期待をかけて送り出します。

 その後の事は、引き続き文献調査の上で何所迄書き込めるか、自分でさえも覚束ない所です。再開を10月5日(月)とさせていただきます。

 ブログランキングに参加した後も皆様に御支援を賜り、月曜日から金曜日までの投稿の全話が人気ブログランキング入りしているとのアメーバ事務局からの連絡に、小生自身が一番驚きもしています。

 少ない週でも、2,3話が人気ブログランキング入りとなっています。78歳にもなる小生にとっては大いに励みになる処ですが、同時に、創作するにも今後ともいい加減な文献調査は許されないなと思っても御座います。

就寝は午後10時前、起床し執筆開始は午前3時から。朝食は午前八時15分。その直前に、庭に来るスズメ、キジバトに餌をやる。後の午前、午後に図書館に行ったり、古本屋で探しあてた書籍を点検したり、また、ネットで関係する資料のデジタルアーカイブを当たったり、時には関係する地方の資料館、博物館に手紙で問い合わせたり、と自分なりの文献調査に取り組んで居ます。

ご理解のほど、宜しくお願い致します。

 なお、手前味噌になりますが、小生の作品一覧は別紙のとおりです。まだ読んでいない等で興味のある方は気分転換にでもお読み下されば幸いです。これからの凡そ5カ月、時折、各作品のあらすじはこれまでに作成の物、小生を知ってもらう等にこれはと思うかつてのブログの付記をそのままに添付させてもらおうかと思いもしています。

宜しくお願い致します。

 

ブログ公開・作品一覧

 六十八歳の誕生日を機に年金生活に入りました。毎日が日曜日の中で郷里の岩手県一関市藤沢町史を紐解いて知らなかった郷里の歴史を知り、感動し、それらを題材にして郷里周辺のことを今の子供達にも知ってもらおうと執筆しております。

この八年余の独学による作品は次の通りです。

 当初から読んでくれていた友人(故人)に励まされ背中を押されて二〇二三年の正月から作品をブログで公開することにしました。処女作品はサイカチ物語です。

 カッコ内は400字詰め原稿用紙換算です。インターネットに「藤沢勉、小説・大槻玄沢抄」と入力し、出てきた画面の「記事一覧」をクリックすれば、該当月日から読むことが出来ます。

 

一 一人暮らしのための条件(38枚)

      2023年 一月一日~一月十三日

二 ほっとゆだ夜話(271枚) 

      2023年 一月十四日~二月十六日

三 サイカチ物語(加筆修正前の作品、1263枚)

      2023年 二月十七日~六月二十四日

(内ルーツ(219枚)

      2023年 二月十七日~三月八日

    (内・五)葛西一族の滅亡(281枚)

      2023年 三月九日~三月三十一日

六 望郷(447枚) 

      2023年 七月一日~八月十八日

七 それぞれの道(840枚)未公開

八 元朝参り(55枚) 

      2023年 八月二十一日~八月二十六日

九 青春賦(576枚)、サイカチ物語の姉妹編

      2023年 九月一日~十一月十二日

十 小説「大槻玄沢抄」(執筆中、4000枚を超えて進行中)

      2023年 十一月二十六日から順次公開~現在に至る。

 

投稿当時のまま再掲。

◎次回作。

 小生のブログ小説をお読みくださる皆様に深く感謝申し上げます。一月三日に初めて投稿した「一人暮らしのための条件」は一日のアクセス数の最高が六十五でした。

 そして、「ほっとゆだ夜話」は、投稿五日目に百を超え、少しばかり自信が持てて小生の友人、凡そ二十人に小説の投稿を始めたことを周知しました。それから約二週間、一月末には一日に百四十ものアクセス数があり、小生としては大変にうれしく思っております。

 同時に、アメーバ事務局にも感謝しております。良いねマークがついた、新しくフォロワーが付いたのお知らせのほかに、これまでの作品の最高アクセス数は一日何件、一日平均のアクセス数何件、アクセスはスマホから何件、パソコンから何件、アメーバアプリから何件と、アクセスの分析等々、小生の思いもしなかったことまでブログ管理で連絡をしてくれる、七十五の小生はその至れり尽くせりに感謝しております。自費出版する財力の無い小生には、このブログによる公開の方法を得て、殊更に生きがいを感じております。

 ほっとゆだ夜話は、労働行政、福祉保健行政、年金行政等に従事した経験から疑問の思うこと、経験上知りえたこと等を、認知症の入った独身の実姉、面倒を見てくれていた義姉と一緒に湯治場の温泉に行った二泊三日の小旅行に、旅館で知りえた人たちとの交流をもとに書いた三年前の作品でした。

 

 次回作は小生の処女作、「サイカチ物語」を投稿させていただきます。七十歳の時の作品になります。処女作でありながら、いきなり四百字詰め原稿用紙千百枚になりました。

 この一月に亡くなった小生の友人(恐れ多いのですが、ここではそのように呼ばせて下さい。)が、昨年十一月末に、小生に寄せてくれた手紙に、

「こういうと失礼に当たるかもしれませんが、回を重ねるに従って文献調査の深化に始まり、文書力、構成力なども格段に増しておられるように思われます。筆者の構想に寄ればゴールはまだまだ先のようですが。そろそろ「集大成」の時期を考えてもいいのではないか・・・」と作品の公開、出版の後押しをするものでした。

 以来、十二月から今日まで、現在執筆中の小説・大槻玄沢を中断して、過去の全作品、八作の再点検、加筆修正をしてきました。その間に、まさか、その友人が死を迎えるとは・・・。

 果たして天国に行かれた友人が、これで良し、とほめてくれるかどうかわかりません。

 八作品の最後に処女作「サイカチ物語」を加筆修正しました。会話形式を取り入れたこと、現在進行形に表現を変えた等によって四百字詰め原稿用紙千二百五十枚にもなりました。これに読んでくださる皆様が理解しやすいようにと別掲表示の資料が四十七枚(以前に作成)、例えば、葛西清重が源頼朝にもらった所領、盛岡葛西系図、伊達政宗の所領の変遷等の図、小生の手作りを添付させていただこうと思っております。しかし、ブログに別掲資料の添付の手法等を知りませんので、三月末に長野から来る息子(娘婿)に教えてもらってから添付しようと思っております。それまでの間、ご迷惑をおかけするかもしれません。

 一日の公開枚数が、ほっとゆだ夜話と同様の方法でも凡そ七、八か月の長期にわたる投稿になると思います。末永く、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 

「サイカチ物語」あらすじ

 あと一年で廃校になる高校の教諭を勤める私の所に四月から最後の三年生になる熊谷準君と及川俊明君が訪ねて来た。部活と受験の両立に悩む二人は所属する新聞部を辞めたいと言う。私は自分の受験生時代のことも交えて体験談を話し、新年度に改めて部の去就を聞かせてほしいと伝えた。彼らは自分の意思を伝えるとホッとしたらしく私の部屋に有った本棚に注目し吾妻鑑を手にした。

 二人に吾妻鑑は日記形式で書かれた鎌倉幕府の公式記録みたいなものだと教え、藤原四代が崩壊した後、その所領を貰った鎌倉幕府の葛西清重や御家人に関係ある人達が岩手県南、宮城県北に下向して来た、その人達と前から住んでいた地方豪族が君たちの祖先であり現代の人々に繋がる氏姓のルーツだ、と話すと二人は驚いた。ほとんどの同級生仲間が御家人等と関係した苗字だった。

 新年度になって、同じ新聞部に属する千葉京子さんを含む三人に鎌倉時代から凡四百年続いた葛西一族が何故滅亡することになったのか、その経過を語ることになった。熊谷君と及川君に新聞部を辞めたい、の声は無くなっていた。

葛西一族滅亡は全国平定を図る豊臣秀吉の奥州仕置きにあるものの、実はその後ろに伊達政宗の陰謀、謀略が有ったと言う歴史の事実を三人は初めて知る。隠された歴史だった。歴史に強く関心を抱くようになった熊谷君は、その後、医院を経営する家族や周囲の期待を押し切って進学希望先を変更し歴史学の道を選択することになる。

 及川君から葛西一族に関わる悲劇を聞いた少女(佐藤美希)が、夏休みの間に葛西氏に関わる古城めぐりをしようと提案した。その彼女は若年性乳がんであることを告知される。彼女を励ましている間に及川君と少女とは幼馴染から恋人同士の関係になっていく。

 毎年夏に行われる町最大のイベントである藤沢野焼き祭りが終わった後に、新聞部の三人に熊谷、及川、千葉)に少女二人(佐藤、新たに高橋梨花)が加わって葛西一族関連の古城巡りを実行する。バイク四台によるツーリングであり、二泊三日のキャンプを含む行程だった。

 夏休みが終わり、三人は学校新聞に載せる三年生一人ひとりが語る将来の夢、目標の原稿をまとめて最終号を編集する事務室に提出した。それで新聞部の三年間の活動は実質終わりだった。後は三人とも受験勉強一直線のはずだった。

 しかし、歴史学の道を選んだ熊谷君は、受験勉強の傍ら、どうしても同級生仲間や町の人々に埋もれた葛西一族の悲劇を知らせたいと文化祭用に展示物作成に取り組む。実際の文化祭ではサイカチ物語と題して葛西一族の滅亡に至る経過を書いて張り出した。その展示物の前に人だかりができるほど好評だった。

 学校新聞最終号に将来の夢、目標を書いた少年、少女は、各地に旅立とうとする。しかし、佐藤美希は天国に旅立ったのでした。

 十年後、熊谷準と高橋梨花が結婚することになった。ルーツや葛西一族を語った岩城先生、小学校の教諭になった高橋梨花、看護師になった千葉京子、美希の死を機に医者になった及川俊明が語られる。

 家業の医院を継ぎ、医者になることを期待されてちながら大学職員として歴史研究に従事していくことになった熊谷準だったが・・・。

◎第一章から第八章になります。

〇第一章、ルーツ。廃校を翌年の春に控える高校の新聞部所属の少年(熊谷準、及川俊明)・少女(千葉京子)と部活担当の教諭との交わりが中心です。そこで、生徒や町の人々に多く見られる氏姓のルーツについて語られます。

〇第二章、葛西一族の滅亡。学校新聞最終号に載せる記事の一つとして、最後となる生徒がそれぞれに自分の将来の夢、目標を語ります。

 その一方、生徒や町の人々の氏姓に多くかかわる葛西氏がなぜ鎌倉時代から四百年後、千六百年を前に突然滅亡したのか、伊達政宗の謀略が語られます。

 葛西一族はサイカチの木を家の門柱に飾ったり、木そのものを庭に植えたりしてここに葛西ありとお家再興を願うのでした。サイカチの木は「葛西、勝」をもじったものでした。

〇第三章、野焼き祭り。及川俊明の幼馴染であり同級生の佐藤美希の発案で、夏休みに葛西氏関連の古城巡りをしようと、町の最大のイベント、野焼き祭りの場で少年・少女は最終計画を確認します。また、佐藤美希の発病から及川俊明と彼女との間は幼馴染の友から恋人の関係になっていきました。

〇第四章、古城めぐり。千葉京子の親しい友人、高橋梨花も参加して男二人女三人が夏休みに葛西氏ゆかりの古城巡りをします。自分たちの運転するバイクでツーリング、キャンプの二泊三日の旅です。南に石巻の牡鹿半島、北に奥州藤原の郷まで、宮城県南、岩手県北を周遊します。途中、葛西氏滅亡からお凡そ四百年、現代にいたるまで代々墓守りをして来た古老の話を聞きます。 

 その墓守りの方法とは・・・。

〇第五章、俺の嫁さん。佐藤美希の病気は若年性乳がんでした。その治療、通院等の手助けを通じて及川俊明と佐藤美希との関係は深まっていきます。及川の妹、明子とも親しい美希はある日、明子から手紙を受け取ります。その手紙を機に及川が美希に将来の俺の嫁さんと告白します。

〇第六章、文化祭。現代においても町の人々等に葛西一族が語られることはありません。謀略をめぐらして旧葛西領を手にした伊達政宗による徹底した歴史隠し、葛西隠しでした。

熊谷準は文化祭で、この土地が葛西領であったこと、平泉藤原時代から伊達の時代の間に四百年余も葛西氏時代があったことを同級生や、町の人々に知ってもらいたいと展示物にして発表します。

〇第七章、旅立ち。学校新聞最終号に将来の夢、目標を書いた少年、少女は、各地に旅立とうとしています。しかし、佐藤美希は天国に旅立ったのでした。

〇第八章、遂志。十年後、熊谷準と高橋梨花が結婚することになりました。ルーツや葛西一族を語った岩城先生、小学校の教諭になった高橋梨花、看護師になった千葉京子、美希の死を機に医者になった及川俊明が語られます。そして、医者になることを期待されていた熊谷準が大学職員として歴史研究に従事していくことになりました。そして・・・。

 

「青春賦」あらすじ

 時折私の賃貸マンションに泊る同僚二人に、前からの約束通り私が医師の道を選んだ動機を語ることにした。

 私は廃校を迎える高校の最後の三年生だった。野球部の部員でありながら新聞部にも所属していたけど、新聞部は名ばかりの実質活動もしない不良部員だった。

 二年生の秋、野球部は俄か部員四人を調達してかろうじて新人戦に参加できたけど、あと一年を残して廃部を議論されるのは当然だった。

 そんな時に新聞部のキャップを勤める熊谷準君が強力に存続のための援護活動をしてくれ、かろうじて野球部は三年次にも生き残ることになった。そのことがあって私と彼は急速に親交を暖めることになった。

 彼は町の中にある熊谷医院の子息であり、親からも私達クラス仲間からも医者になると期待されていた。同級生で一番の成績で進路の選択に特に問題となることはなかったと思う。しかし、彼は悩んでいた。本当に医者になりたいのか自分の情熱を燃やせるものなのかと、私達から見たら贅沢な悩みに思えた。

 新聞部を辞めたいと言う彼に付き添って三年生になる年の三月、春休みに部活担任教諭の岩城先生の家を訪ねた。

先生は自分の受験時代の体験を交えて話し、新年度になったら改めて新聞部からの去就を聞かせて欲しいと言う。それがあって、改めて見渡した先生の部屋の中で彼と私の目に入ったのは郷土に関わる歴史本だった。

 熊谷君が手にした吾妻鑑で彼のその後の人生は大きく変わっていく。吾妻鑑に書かれている内容を先生に聞き、今の同級生仲間に残る氏姓が鎌倉武士の氏姓に繋がると知る。また鎌倉時代から凡そ四百年、伊達藩に変わるまで自分達の住む町周辺を支配していたのは葛西一族で、その滅亡に至る経過と隠された悲劇とを知る。それを機会に熊谷君は家族の反対等を押し切り歴史学の道を選んだ。

 一方、私は学校新聞最終号にも書いた通り、進学し、その後、商社マンか銀行員になるぐらいの夢、目標を漠然と持っていたにすぎなかった。しかし、先生の話に感化されて私も歴史文学の道を選択しようかと迷うようになる。

そんな折、幼馴染でありクラス仲間である佐藤美希さんの疾病を知った。相談に乗っているうちに彼女は私の一番愛する人に変わっていく。

 夏休みに、美希さんの提案から熊谷君と私と、彼女の友人二人の五人で先生に聞いた葛西一族関連の古城めぐりをバイクでする。

 その結果と歴史に埋もれた葛西一族の事を町の人々にも知ってもらいたいと熊谷君は文化祭で発表する。

その後に美希さんの病状は悪化した。高校三年の冬、彼女は他界した。隠れキリシタンの郷として現代に至るまで凡そ四百年、お寺の無い地域である。彼女葬儀で、自分の知らなかった彼女の一面を知る。そして、そこに・・・。 

 彼女と彼女のご家族との交流から彼女を失った私の悲しみは大きかった。精神状態の可笑しくなった私は家に閉じこもり高校の卒業式にも出席しなかった。

 同級生が三々五々に故郷を離れていく三月に熊谷君が上京の挨拶に来る。その時になって、彼が医学部ではなくW大学の文学部に進学すると初めて知る。裏切られた思いから食って掛かった私は、及川も医者になれるよと言う彼の言葉に目を覚まされる。

 

「それぞれの道」あらすじ

 時折私の賃貸マンションに泊る同僚二人に、前からの約束通り私が医師の道を選んだ動機を語ることにした。

私は廃校を迎える高校の最後の三年生だった。野球部の部員でありながら新聞部にも所属していたけど、新聞部は名ばかりの実質活動もしない不良部員だった。二年生の秋、野球部は俄か部員四人を調達してかろうじて新人戦に参加できたけど、あと一年を残して廃部を議論されるのは当然だった。そんな時に新聞部のキャップを勤める熊谷準君が強力に存続のための援護活動をしてくれ、かろうじて野球部は三年次にも生き残ることになった。そのことがあって私と彼は急速に親交を暖めることになった。

 彼は町の中にある熊谷医院の子息であり、親からも私達クラス仲間からも医者になると期待されていた。同級生で一番の成績で進路の選択に特に問題となることはなかったと思う。しかし、彼は悩んでいた。本当に医者になりたいのか自分の情熱を燃やせるものなのかと、私達から見たら贅沢な悩みに思えた。新聞部を辞めたいと言う彼に付き添って三年生になる年の三月、春休みに部活担任教諭の岩城先生の家を訪ねた。

 先生は自分の受験時代の体験を交えて話し、新年度になったら改めて新聞部からの去就を聞かせて欲しいと言う。それがあって、改めて見渡した先生の部屋の中で彼と私の目に入ったのは郷土に関わる歴史本だった。熊谷君が手にした吾妻鑑で彼のその後の人生は大きく変わっていく。吾妻鑑に書かれている内容を先生に聞き、今の同級生仲間に残る氏姓が鎌倉武士の氏姓に繋がると知る。また鎌倉時代から凡そ四百年、伊達藩に変わるまで自分達の住む町周辺を支配していたのは葛西一族で、その滅亡に至る経過と隠された悲劇とを知る。それを機会に熊谷君は家族の反対等を押し切り歴史学の道を選んだ。

 一方、私は進学し、その後、商社マンか銀行員になるぐらいの夢、目標を漠然と持っていたにすぎなかった。しかし、先生の話に感化されて私も歴史文学の道を選択しようかと迷うようになる。そんな折、幼馴染でありクラス仲間である佐藤美希さんの疾病を知った。相談に乗っているうちに彼女は私の一番愛する人に変わっていく。

 夏休みに、美希さんの提案から熊谷君と私と、彼女の友人二人の五人で先生から聞いた葛西一族関連の古城めぐりをバイクでする。その結果と歴史に埋もれた葛西一族の事を町の人々にも知ってもらいたいと熊谷君は文化祭で発表する。その後に美希さんの病状は悪化した。 

 彼女と彼女のご家族との交流から彼女を失った私の悲しみは大きかった。精神状態の可笑しくなった私は家に閉じこもり高校の卒業式にも出席しなかった。同級生が三々五々に故郷を離れていく三月に熊谷君が上京の挨拶に来る。その時になって、彼が医学部ではなくW大学の文学部に進学すると初めて知る。裏切られた思いから食って掛かった私は、及川も医者になれるよと言う彼の言葉に目を覚まされる。