十四 補遺の稿と環海異聞
医者溜まりに戻れば桑原様(桑原隆朝純(純明))だ。医者の重鎮でもある。そのお方が先に、今年も宜しくと言う。恐縮するばかりだ。そして、その後に問われた。
「奏上が事は昨年の水無月(六月)だったかの。
確か初夏に終わりもしたと聞いても居ったが、その続きがある、大槻殿はそれが事に暮にも精を出していたとお聞きして正直、驚いた。
体調が良くないと聞きもして御座れば、身体の方も、その進み具合も如何かの?」
「ご心配、忝い。御覧の通り息災に御座います。
奏上が事の経緯は桑原様が御話された通りに御座います。
今日は祝賀の日でも御座いますれば、御屋形様のお言葉を賜るだけにと決めても御座います。
三が日を過ぎれば、御用始めでも御座いますれば奏上が事(北辺探事)の補遺稿を御屋形様に献上せんと思っても御座います。
また、主(御屋形様)は奏上が事の内容を理解するに絵図を所望しても御座いましたれば、別に「環海異聞」と仮に置きます(仮称の)書にて文と併せて絵図を献上せんと考えても御座います」
「カンカイイブン?」
「はい。漂流民はこの日本に帰って来るに当たって、あのレザノフとか言うオロシヤの使節と共にデンマーク、オランダ、イギリスなどのヨーロッパに、アフリカ大洲のカナリアと言う島に寄り、赤道を超えて南アメリカのブラジリア(ブラジル)に行っても御座いました、
また、それからに南アメリカの果ての岬をぐるりと回って大海原に出て、サンペイツケと言う島(サンドイッチ島、現在のハワイ諸島)を経てオロシヤが領だと聞くカムチャッカと言う半島に戻り、そこからに仙台が沖、江戸湾の先、紀伊の海原、土佐、薩摩の海を越えて長崎に来たのでした。
難破して漂流し、着いた先が北のアメリカ。そこから縁が有ってオロシヤがオホーツクに至りオロシヤを縦断しているのですから、漂流民は己達が何をしているか分からずも世界を一周して来たのでした」
「噂は真の事に御座ったか。
すると、カンカイは世界の海をぐるりと回った、
イブンは、聞きもする、日本の事にあらず異国の事ぞ、となるのかの?」
「流石、桑原様。
正にその通りに御座います」
横で聞く玄幹も、(玄幹と)同じ部屋住みの身に在って医員として出仕している桑原殿が倅(桑原如則。後の三代目桑原隆朝士愨)も頷く。
「補遺稿もカンカイイブンも是非に読みもしたい。
拝見したいと思いもするが、叶うかの?」
「補遺(稿)と雖も、主への)先の奏上が事(北辺探事)の続きでも御座いますれば御許し無くそれをお見せする事叶いません。
レザノフの来航によってまたまた蝦夷地を如何する、オロシヤの南下、侵略が事に対処するに如何するとあれこれ噂も御座れば、蝦夷地が事に触れて(補遺の)稿を認めて御座います。
蝦夷地開拓が事は御国も昨日今日に考えが及んだものに御座いません。桑原様も、かつて工藤様(工藤平助。故人。桑原隆朝純の姉、故人、遊が工藤平助の妻である)が藩に居りましたれば疾うにその事をご承知で御座いましょう。
されど、オロシヤもまた蝦夷地を吾物にせんとしている所に御座います。蝦夷(地)に在留する赤人(オロシヤ人)が増えている、先住民のアイヌ人等との交流が進んでいるともお聞きして御座います。
吾は主の理解を助けんとて、補遺稿に当代随一の蝦夷通、明和の頃から御上が命で東蝦夷地を何度か探索したとお聞きしている最上常矩(最上徳内)殿の「蝦夷草紙」の抄録を書き添えました。
幼い主にはエトロフ、クナジ(シ)リ、ウルップなど聞きなれない蝦夷の変わった地名の外にオロシヤが行動などなお解せぬものとて多いかと思います。
オロシヤは吾国の国境(隣境)にあり沿海の諸地に近ければ、また、交易を認めずにレザノフを返したとあれば往々異変萌動する事あるが如きにも思います。
さすれば、予めオロシヤが事を良くに知ってこれに備えるべきかと思案するところに御座います。(北辺探事補遺巻の一、附言)」
無言のまま頷く桑原殿だ。この先を話せば長くもなる。座りましょうと促した。玄幹と倅殿が慌てて座布団を整えた。自分達も一緒に聞く姿勢に在る。