七 儀兵衛が不幸
身を縮め固くしている吾を慮ったか、侯は帰郷した漂流民が事に話を移した。
「十四年振りの故郷と聞きもした。帰郷は仙台にても大騒ぎだった様じゃ。
事の次第、何ぞ聞きもして居るか?」
「はい。大火が後の片付けの手伝いに江戸に上って来たばかりの藩士の方に、仙台が様子をお聞きしても御座います。
着いたその日に藩の簡単なお取り調べが有った。その後に藩が用意した仙台が宿で家族等と再会を果たしたとお聞きしました。
一泊した翌日には塩釜街道も奏社、塩竃、松島の道を取り、高城という所から船で津太夫と左平は寒風沢に、儀兵衛と太十郎は(宮戸島の)室浜に帰ったとお聞きして御座います。
それで知りし事は、若宮丸に乗っていた者は皆死んだと思われていた。寛政十一年)船主米沢屋平之丞が、石巻に御座います桂林山、臨済宗禅昌寺で七回忌法要を行っていたと言う事でした」
「七秋を待って法要が行われたと聞けば、船頭(平兵衛)が米沢屋の倅だったと言うだけでなく、船に乗っていた誰もが死んだ。
一区切りせずばとのと思いが(船主に)あったと言う事に成ろう」
「はい。(船の)行方不明が当時、米沢屋は江戸に番頭等を派遣して常陸の那珂湊や房総の九十九里浜から三浦半島が浦賀の港まで(調べに)人を走らせたとか。
死んだはずの者が帰って来たと先に知れて、(江戸の藩が)御屋敷でお取り調べを行っている最中も、石巻も四人が島(故郷の寒風沢島、宮戸島(室浜))も、大騒ぎだったとお聞きしました。
かつて、光太夫殿(大黒屋光太夫)や磯吉殿に(伊勢の白子への)凡そ十年振りの帰郷の折の事を聞きもして御座いましたればその騒ぎも想像がついた所で御座います。
だがその一方で、(文化三年)四月一日に太十郎が死んだお聞きしました。
(江戸から)見送るに、(回復の)一縷の望みを期待しても御座いましたが、現実となれば悲しくも哀れにも思える事に御座います」
記憶に残る太十郎は青白い顔をして横になっているだけだ。だが、消息を聞きもしたあの夜に吾が家の仏壇にお線香を上げもした。
「まだまだこれからという年齢だったとの思いもして御座います」
(本田寿良信士、享年三十六歳。陸奥国桃生郡深谷室浜(現、東松島市宮戸門前)、曹洞宗東渓山観音寺に眠る)
頷く侯だが、次に語るを聞きもして、なおのこと吾は絶句した。
領内の情報が一早く堀田様に入るは最もな事だ。
「儀兵衛は太十郎と同じ宮戸島の室浜と言う所の出だの?」
「はい、その通りに御座います」
「その儀兵衛が事だ。
廻船の手配が事で米沢屋に出入りもする勘定方の一人の言う事じゃ。話に間違いはなかろう。
初めて口にするが、子を持つ親なれば分りもする。
儀兵衛は石巻が米沢屋でまた手伝い出したと聞きもした。そこまでは吾も良かった良かったと思って聞いて居った。
だが、漂流民が帰郷の折、儀兵衛が家族は藩が用意した仙台が宿に姿が無かった。
兄が待って居ったと言うのだ。
それでも、兄弟が肩を抱き合って再開を喜んだと聞けば、家族に何らかの事情があって兄だけの迎えだったと思うは当たり前であろう。
だが、その兄は伝えられなかった。
己の家の敷居をまたぐなとは言えなかったらしい」
「えっ、それは・・・、何が御座いましたか・・・」
その先を聞きたくもなる。
「室浜の家に着いて、儀兵衛は玄関口の土間から続く囲炉裏の側に赤子を抱く妻と、その横に女子の姿を見た。
女子の座って居る姿に、年恰好から吾との間の子だと思ったらしい。
間違いなく己が漂流している間に生まれた子、腹を大きくしていた妻との別れを思いもしたらしい。
だが、妻は赤子を抱き、女子の横に見知らぬ男が居たのだそうだ。
女子はその男に甘える仕草にあり親子の仲が良い事を示す物だったと聞いた。
周りを見れば、先に喜んだ様な驚いたような顔をした妻はその時には側に座って居た爺様婆様と同じ様に顔を伏せていたのだと言う。
それ故、儀兵衛は声を掛けられなかった。付き添って居た兄は顎を引き、儀兵衛の袖を引いたのだそうだ。
何が何だか分からないまま、袖を引く兄に従って(儀兵衛は)表に出たと聞く。
兄の語るを聞いて儀兵衛は今の事実を知った。
女子の横に居たは妻の新しい夫だった。
(儀兵衛殿にとって)思いもしていなかった事だったろう」
「それはまた・・・」
音沙汰無く十何年。死んだと捉えおればそのような事もあり得るかも・・・。言葉を飲んだ吾に構わず、侯の話だ。
「誰の行いが良くて、誰の行いが悪いと言うものでも無い。
時の大きな悪戯とも言うのかの。
語る御仁が言うには、儀兵衛がある日に、間違いなく俺の子だ、あの目あの鼻あの耳の形は俺の物だ。俺がお父さんだと言ってやりたい、名乗り(上げ)たい、抱きしめてやりたいと絞り出すように言ったのだそうだ。
だが、その後に、女子は父親になつき可愛がられているようにも見えた。この十余年、吾は父親らしきことを何もしなかった、してやれもしなかった。父親だと名乗って出る幕じゃない、と言ったのだと言う、
恐らく、己の娘であろう女子の幸せを一番に考えて遠くからそっと見遣るしかなかったのだろう。それで良しとする哀しい結論だ。己に言い聞かせたのであろう。
吾とて思わず涙が出たよ。親子の縁に武士も庶民も無いでの・・・」
侯の御話を聞くに、吾は仙台が空を想像した。海が有る、島が有る、顔は朧気ながら喜びに沸き立つ島の人々のお迎えの場が連想された。それ故、儀兵衛殿が一層哀れにも思えた。彼の今後が気になりもする。
帰りに医者溜まりが部屋を覗けば、桑原殿(桑原隆朝如弘)がまだ文机に向かっていた。
問われるままに、仙台が情報を御話した。