六 堀田様への申し出
北辺探事は二巻とも字面のみだ。読みもすれば、見たこともない国々や島々に思いを馳せるは誰とて同じであろう。御屋形様の冒険心を擽りもしたろう。
行った先々の絵図はないのか、氷山の絵図も龍の子の絵図も無いのかと幾つかの質問と共に絵図の有無に付いて仰せだったとお聞きした。
聞き取りが事は(藩の)秘事にある。なれど、字面のみで主(御屋形様)の心を引き付けもすれば、後に堀田様(堀田正敦)にそれが事を世間に公表したいと申し出るに、相談し易くも有るかと秘かな吾の策(作戦)に有った。
御禁制の耶蘇(教)が宗旨の国に関わる書き物と有れば、世間に公表しようにも容易な事ではない。かつて和蘭人から聞きし事とて、横文字の綴りを認めた絵図等を挿入しただけで発禁とされ、牢にぶち込まれた先人が居た
(後藤梨春。明和二年(一七六五年)に出島に来ている和蘭人に聞きし事として著書「紅毛談」(上下二巻))を発刊するも、御禁制に触れる物有りとして捕縛されている)
吾とて蘭学階梯(天明八年(一七八八年)発刊)に異国の風習、横文字等を書き世間に紹介するに覚悟が要った。寛政の世(寛政五年(一七九三年)の洋書輸入の禁の緩和によって取り締りは緩やかに有るが御上は今も目を光らせている。
漂流民が北國の島に流れ着いた所からオロシヤに渡り、行く先々で見ること知る事の出来た風習、産物、日用品などに特徴のある建築物や言語、通貨のごときから、遂に世界を一周して見た物、体験した物に気候風土に至るまでを世間に公表したいと、日に日にその思いが募りもしている。
畏れ多くもと思いながらも、御上の今の考えを知るために堀田様をけしかけた。
奏上して二七夜(二週間)と経たず、侯(堀田正敦)が御部屋に呼ばれもした。思いもしていなかった事を告げられた。
「御屋形様に呼ばれもしたでの。其方の「北辺探事」を読みもしたとの事で、吾もまたお借りして後に読みもした。
其方を呼びもしたは吾の感想、意見を言わんがためでは無い。御屋形様の望みじゃ。
(北辺探事は)字面のみじゃが、主は、絵図は無いのかとおっしゃっての。それを希望しておる。
吾も読みしに、絵図が有ればと思う所、屡々あった。
(聞き取り調査は)秘事の事にも有るが、何と言ったかの、其方が絵を得意とする己が門人と、世界の地理に詳しい門人、二人の協力を得て聞き取りが事に当たっていると内々聞きもしている。
絵図は有るのかの?。その絵図はどの様にするつもりじゃ?
次に、奏上が事の何ぞ補足せんがための物を考えてもいるのかの?」
吾から昌永にも右仲にも協力を得ていると侯に報告していることに非ず。思わず顔が赤くなるのを覚えた。
「はい。絵図が事は備中(岡山県)松山藩の松原右仲殿に協力を得て御座います。
また、オロシヤが地理等を理解するに、常陸(茨城県)土浦藩の山村昌永殿の協力を得て御座います。
何分にも短い期間の聞き取り、編纂に御座いましたれば奏上が後にもあれこれ補足せねばと思う所が御座います。
引き続き(北辺)探事が事の補足を纒、奏上したいと考えて御座います」
「それは良いとして、絵図はどうなる?」
その御言葉を聞くに、この際に吾が心を言わんとの思いがした。
「はい。絵図は御座います。
御屋形様にも堀田様にも、早速にそれらを拝見して頂く手配をさせて頂きます。
されど今に漂流民が語りし事、見てきた事、聞いてきた事を世間に公表出来ない物か、本にして発刊出来ないかと考えても御座います」
後ずさりして、改めて姿勢を正した。
「オロシヤは(吾国)御禁制の耶蘇を宗旨とする国に御座います。
それ故、漂流民が語るオロシヤと雖も、書にするにも絵図にするにも世間に語る(公表する)には、侯のお力添えなくば出来ぬことと考えても御座います。
さすれば是非に(発刊に当たる)ご支援が事、不躾ながら茲にお願い致します」
返事はない。侯にとって思っても居なかった申し出なのだろう。
「漂流民がオロシヤで見ること知る事の出来た事どもは、今の世の世界を知るに、お武家様にも庶民にとってもまたとない絶好の機会に御座います。
世界は丸い。丸い地球の中に有る。陸と海の中に吾等は住む。
この日本の先に唐、天竺、琉球ばかりか多くの国が有る。アジア。ヨーロッパ。アフリカ、北アメリカに南アメリカ、五大洲がある。
白も黒も赤も、色んな肌をした人間がそれぞれに色んな有り様で生活をしている。氷の国に住む人もあれば、毎日が頭から水を被らねば生きていけない程の所に住む人々とてある。また、日本よりも豊かな国もあれば、貧しい生活をしている国もある。
漂流民が行った先々の風習、日常の有り様、産物などに、言語、通貨のごときから特徴のある建築物、気候風土に至るまでを世間に公表したい、世界一周を公表したいと、日に日にその思いが募りもして御座います」
調査は(藩の)秘事が事。耶蘇(教)は(国の)御禁制に有る。御屋形様の後見人であり幕府の要職(若年寄)に在る堀田様であればこそ、吾が願いを実現できるお方なのだ。侯のお許しのお墨付きがあってこそ吾の考える本の発刊も可能となろう。
明日にも必ず絵図を侯にお届けすると申し出た。侯は先に御屋形様が見るのが常套。当番奉行に届けよと仰せだった。それが事にもまた赤面した。
そして、其方の申し出、考えても見ようと仰せだった。
[付記]:昨日、3月24日。実に何年振りだろう。上野恩賜公園にお花見に行ってきました、二か月に一度開催の兄弟会の一環です。
残念ながら桜の花はまだ3分咲きでしたが、78歳になる小生と、73になる妹、68になる弟と一緒に、スーパーで買ったお花見弁当に焼き鳥、タラチーズ等です。サプライズに三日後、27日に74歳になる妹のためにと誕生祝のケーキを用意した自分でした。
凡そ2時間、敷物の上でそれなりに楽しい時間でしたが、思わず思い出したのは小学生の頃のお花見です。乳のみ子の弟、小学一年生になったばかりの妹、小生は五年生か六年生になった頃の事でした。
60年近くも前のこと、東北岩手ゆえ、お花見と言えば今のゴールデンウイーク、五月の連休の頃がお花見でした。地球の温暖化の事が話になりましたが、その話の中で小生は全く別の事を思い出していました。
何歳になっても、やっぱり母の事です。60年近くも前、畑仕事に出た母に添って野良仕事に出た自分です。その日、父は日雇い仕事に出かけ。城山の中腹にある小さな畑に小生と、妹、弟でした。
朝から母は手作りの海苔巻き寿司造りに、みたらし団子、煮しめのオカズ造りに忙しくしていました。今日は畑仕事を手伝って呉れたら、お昼時には、城山に上ってお花見の時間にするとの言葉に興奮を覚えていた自分でした。父もまた、珍しい贅沢な弁当に、楽しんで来い、と喜んで出かけたのでした。
お昼時、畑仕事が一段落して、いよいよ城山に上る。喜び、弁当を今か今かと待つ自分です。城山からは賑やかな音楽と子供の嬌声が絶えず聞こえていました。
母が、畑の畔で、ここでお昼にしよう、弁当にしようと言い出したのです。見れば、土に汚れた母のモンペ姿です。自分もまた、汚れたゴム靴につぎはぎの有るズボンです。近くにある共同の井戸で手足を洗っても、着替えも無い母であり小生でした。母の顔を見て、何で、と思いましたが、自分もやがて理解しました。
母が、一言、戦争が無い分良いよと言ったのです。