第二十八章 多事多難

            一 車町火事

「お早う御座います。

 やっと少し落ち着いたでしょうか」

 声を掛けてくる玄幹の声とて落ち着いた声に変わっても居る。何処で茶葉を都合したのか。タホの淹れて呉れたお茶が気を静める。

 タホが玄幹の分の湯飲みを用意した。

(ひど)い物でしたね、火事と喧嘩は江戸の花など誰が言った物か。

 今にし思えば馬鹿にしたものです。人の嘆きも苦労も知らず、高みの見物に()る金持ちの言葉でしょうか。

 復活した瓦版には、西南の高輪(たかなわ)芝車町から北東の田原町、浅草まで実に五三〇町に及んだとだけ御座いました。

 それ以上にはまだ書けない。火事の情報整理がまだ付かないと言う事なのでしょうか」

「其方に、六(六次郎)の手を引け、家族を引き連れて先に行け。

 皆と離れるな、行先は桜田門の先ぞ、原っぱぞ。

 それでも危なかったら何処ぞの大名屋敷の庭に逃げ込め。

 兎に角、広い土地に逃げよと言ったは昨日のことのようじゃ」

「酷い火事だったと言う外に、言い様が御座いません。

 お父上の方はもっと大変だったでしょう」

「火元から離れても居れば、大丈夫と思って居た浜町の先生(杉田玄白)が御屋敷も燃えてしまったからの。

 蔵書蔵は無事だったと聞くが・・・。

 残った吾と末吉は家に在った本から(洋書)、聞き取りもした紙の束を(つづ)()に入れて庭に埋めた。

 どれが本をと、良し悪し優先など考える暇もなかった。

日頃に整理しておかぬ不精が悔やまれたよ。

(後に、仙台藩)下屋敷にも火が回ったと耳にしての、余計アタフタした。

草臥(くたび)れたと言っている場合ではなかった。(漂流民から)聞き取りもしたばかりの紙の山、束が有った。

 慌てて駆けつけたが、志村殿が先に持ち出していた。既に(つづ)()に入れて土の中だった。

 万が一の時(火事)にはと対処方法を話し合っていたことも、また志村殿の住まいが(下屋敷の)長屋(うち)に在ったことも幸いだった。

 いやー、今に考えても冷や汗が出る。(御屋形様に)奏上出来ねば切腹物だったからの。

 志村殿が一人で穴掘りをしていた。泥の付いた顔を見て思わず彼に両手を合わせた。

 その後に、愛宕山に上ろう、近くもあれば避難しようと三人で行ったが山は避難した人で一杯だった」

「吾等の逃げる道は御父上の指示通りに御座いました。

(その)行く手も段々に人でごった返して大変でした。

 思うように進みもしなければ、あちこちで喧嘩が始まる始末でした。

 こんな時に喧嘩もあるまいと思えども、切羽詰まると、(人は)とんでもない行動に出るものですね。

 なりふり構わず、人を押し除けて吾先に逃げる様はこの世の事かと驚きもしました」

「穴掘り、葛籠を埋めると、真剣に己の身の保全を如何(どう)しようかと思いもした。

 愛宕山の裏手は風が方向と反対に在る、火は来ていないとの情報だった。

真偽を確かめる時間など無かった。兎に角、逃げよう、逃げよ。

 誰の御屋敷とも知らず中庭に飛び込んだ。

 そこも人、人、人だった。逃げ込む(すき)がまだしも有ったのが幸いだった。

そうなると、今度は其方等が心配になった。

 無事に逃げられたか。避難したハズのあの桜田門の先の明地(あけち)も人で一杯ではないかと心配にもなった。

 夜になったれば、一層心配になった。

 夜空を焦がす火の海はこの世の地獄に思えた。

 闇に燃える火は近くにも、大きくも見えるでの。

 闇の中で人影が右往左往していた。怒声に悲鳴、叫び声が常に聞こえてきた。

逃げ惑う人の声も、半鐘のカンカンという音もこんなにも響くものかと思いもした。

 腹が減った、喉が渇いたと思ったは朝方(五日)に雨が降り出してからじゃった。

正に、雨で吾に返ったとでも言うのかの」

 ずぶ濡れになりながら戻る道々見た物は、何処もかしこも焼け野原だった。これからどうしよう。何が出来る。家族皆の無事を確かめねば・・・との心だった。

「居たー。お父様」

「おう、五三。皆無事か・・・、無事だったか」

五三も六も玄幹も、そしてその後ろに妻も末吉もお京も小春も立って居たではないか。

 あの時、思わず涙を覚えた。

 三日ばかり前の事だが、遙か昔の事のように思える。吾家(わがや)の在った所に参集して、焦土に立って天をこそ恨んだが、家族皆の無事な姿を見て涙をしまい込んだ。

 無事を確認出来た。後は兎に角、家族皆で住める場所、雨露を(しの)げる所を探さねばならない。探し当てることが出来様か。その心境だった。

 ドシャ降りの雨の後の天気回復が早かった。暖かくもある青空が、立ち上がれと言っているようにも思えた。気まぐれなお天道様よ。

 葛籠を掘り出すは後だ、そう思ってあちこち駆けずり回りもした。皆が被災しているのだ。手狭であろうと贅沢は言えぬ。南築地の御旗本、村上寿之(むらかみひさの)(すけ)殿がお屋敷の長屋に取り合えずの仮住まいを探し当てることが出来た。

 それが三日ばかりして、こちらに移られたら如何かとご好意の申し出が有った。御旗本、土岐(とき)信濃(しなのの)(かみ)様が御屋敷の内になる毛受(めんじゅ)殿が所に、長居ができる仮住まいを決めることが出来た(官途要録)。

 思いもしていなかった申し出に、只々感謝、感謝だ。愛宕下なれども、火の方角の反対側にあった故に御屋敷は無事だったとお聞きした。

 昨日(三月八日)に引っ越して、起きて来たばかりの玄幹だ。お茶を啜りながら、久しぶりに良く寝れたと語る。その言葉にタホも吾も思わず頷いた、

「引っ越し荷物とて無ければ片付ける物とて無い。

 住まいが事は落ち着いたれば、朝餉の後に葛籠を掘り起しに行こう」

「はい、承知しました」