法眼様は将軍様の引見の場を「漂民御覧記」として纏めた一年後に、更に漂流民が事の詳細を記した「北槎聞略」を完成させて将軍様に献上した。そのことを引き合いに出して侯に陳情した。
「聞き取りが事は、「北辺探事」と称し奏上に及ばんと吾も志村殿も一致している所に御座います。
されどその後に、是非に石巻の漂流民が語りし事を詳しく纏め、それを世に出したくも御座います。
かつて、内々に知る人ぞ知る北槎聞略は、オロシヤが事を理解するに時の御上の重役に在る皆々様に大いに役立ちもしたでしょう。
しかしながら、庶民には知らしむべからずとそれを御上の懐深く蔵の中に終われてしまいました。
庶民は大黒屋光太夫等漂流民が事も、また、オロシヤが日本に攻めてくるとの噂話も何時しか忘れている所に御座います。
その事は堀田様も承知する所で御座いましょう。されど、北槎聞略が献上されてからも十余年。この簡にも世界が大きく変わって御座います。
フランスと言う国に大混乱が生じたものの(フランス革命、一七八九年から一七九九年)、そのフランスが侵攻して来たイギリスとの戦に勝利したとか、
またオランダがフランスに従属してパタビアと言う国になったとか。そのフランスと対抗できるようにとオロシヤが軍事力を備えたとか。
異国の事ゆえ話の確証を得る方法とて御座いませんが(長崎出島の)カピタン等からそのようにお聞きして御座います。
レザノフが件から、今に御上(幕府)が国防のためにと北國オロシヤの事を考えるは最もな事に御座りましょう。
されど、北にある各藩にいざという時に備えて軍備を充実せよと号令を掛けるにも、また、いざと言う時に出動を促すにも、今日のオロシヤと言う国がどの様に有るか、それを知らせずに軍備を備えよ、戦える人造り、体制を整えよと言っても各藩に御上が脅しの空鉄砲を撃つようなものに御座います。
各藩にオロシヤが今を周知すること、世界が如何にあるかを今こそ世間一般に知らしめる時に御座いますまいか。
吾等は丸い地球の上に立つ、海の向こうには色々な国がある、島がある。肌の色も言葉も違う人々が住んでいる。日本よりも科学が進んでいる国が多くあるのだと庶民も各藩もハッキリと知るべき世になって御座います。
それ故、奏上が後に「環海異聞」を出版したく考えて御座います。
発刊が事、是非にお許し頂きたく存じます」
異国を体験して来た漂流民が事を今なお秘時にせねばならぬことか。国防を考えるならば、オロシヤに限らず世界の諸国が今にどの様に有るか、御上が知る所を庶民にも一層知らせるべきだと思いもする。
世情の今日を考えての吾の願いだ。己の名誉欲や虚栄心がためではない。
(「環海異聞」は、「北辺探事」が奏上された翌年、文化四年(一八〇七年)四月に「北辺探事補遺、三巻」と共に伊達周宗に献上されている。
また、「環海異聞」の草稿は膨大な量に有り、出版発刊は更に一年後、文化五年五月頃になっている。
当時の日本はキリスト教禁制、鎖国にある。キリスト教大国のオロシヤに生活した漂流民四人の見た物聞いた物等に、四人が世界一周で体験した事、レザノフとの交流に係ること等を内容とする「環海異聞」の公表を認められたのは、幕府にも仙台藩にも重職に在った堀田正敦の助力無しに考えられない。
環海異聞の複写本が今日にも多く残されており、当初から当時の知識人に多く読まれたと思われる。その代表的な本文と絵図等は早稲田大学図書館所蔵の「環海異聞」及び「芸海余波」(美作津山藩第八代藩主、松平斉民の収集録全十六巻」に見ることが出来る。
なお、環海異聞には、先に難破してオロシヤの漂流民となった大黒屋光太夫と磯吉から大槻玄沢自身が個人的に聞きもした事柄がかなり混じっていると思われる。
その事は、長く江戸幕府の書庫に秘匿されてきた法眼・桂川甫周国瑞の「北槎聞略」(昭和十二年に亀井高孝氏によって世間に公表された)と大槻玄沢の「環海異聞」とを比較、突合すると良く分かる。
アリューシャン列島から漂流民をオホーツクに連れて行った毛皮商人、ガラロフの件からもその例は指摘できる。寛政六年の作である北槎聞略の中に六十(歳)になるガラロフに十七歳の妻が居た、赤子を産んだ等の事が既に記述されており、十三年後の文化四年に上梓された環海異聞の中でもガラロフの妻は十七歳、赤子を産んだとあるは、大槻玄沢が大黒屋光太夫等に聞きし事を脚色して記述(挿入)したと推測できる。
また、環海異聞に載る絵図の中には既に北槎聞略に見ることが出来る物も多くある。特にオロシヤの衣服の紹介に全く同じ絵図ではと思われる物も含まれている。
オロシヤの語句、翻訳言葉についても同様のことが指摘出来る。津太夫等の知るオロシヤ語は日常会話等で知り得た物、綴りが曖昧だったと大槻玄沢自身が語っているが、その玄沢は大黒屋光太夫から個人的にオロシヤ語の筆記、翻訳等を教授して貰っていた事もあって環海異聞に収録されているオロシヤの言語、翻訳言葉(凡そ六四〇語)の殆どは北槎聞略(収録されているオロシヤ語、凡そ一二六〇語)にも見られる。
津太夫等の知るオロシヤ語は、イルクーツク地方の表現、日本でいうなまりではないかと学者等の指摘もあるー筆者)