十五 吾が願い

 今日に整理出来るところは何処までに成るか。とにかく一歩でも先に進めねば・・・。この道も後に三,四カ月通うことに成るか。

 いや、昨日に、(聞き取りの)概略を説明した後の吾の提案に、考えても見る、検討して見るとのお言葉を頂いたのだ。お認め頂ければまだまだこの屋敷に通う事にも成るか。引き続き己の仕事場になるかも知れぬ。

 林とお寺の門の続く先に、下屋敷の土塀も屋根も見えてきた。

「先生は本当に気丈夫で御座いますな。

 泊まり込みが続いた時には(先生の)お身体が心配になりました。

 津太夫()が事も吾等が事も何かと心配しながらも、着実に事を進めるは流石(さすが)に先生で御座います。

 彼らを見送りしてからも(はや)十日。今日、明日にも(彼等は)仙台(着)でしょうか。

 これで聞き取りは終わりだ、この後に皆で浦霞じゃ、と先生が言った時の三人の喜びようは半端じゃ御座いませんでした。

 あの見送りの日に、達者でなと言いながらに吾も松原殿も志村殿も、肌着に股引(またひ)き、足袋(たび)をそれぞれに差し出して大笑いしたは昨日の事のようにも思われます。

 先生が、どんぶく(綿入れの半纏)と薬を用意したには成程と思いましたよ。

口にせずとも、北の国は吾等が思うよりも寒いと改めて思いました」。

「北はまだまだ寒いでの。日が暮れるのも早い。

 津太夫殿()等の体験して来たオロシヤの寒さとは比べものにならぬことだがの。

 仙台辺りは、まだ川のすがっこ(氷)が溶け始めた頃ぞ。猫柳(ねこやなぎ)の綿帽子が膨らみ始めたばかりじゃろう。

 明日からは月も替わる。弥生(やよい)(三月)と聞けば桜の(つぼみ)も大きくなる。南からは桜の便りも聞こえて来よう。

 前にも話したが、この五月末、遅くも六月が(うち)には御屋形様に報告の書を奏上せずばなるまい。陽気も良く成るでの、もうひと踏ん張り、ご協力願いたい。

 他(ほか)に案も無かったれば「北辺探事(ほくへんたんじ)」として纏めよう」

 昌永も右仲も、志村殿も頷いた。

 漂流民を朝に見送ったその日の昼から聞きし事の整理を始めてもう十日にもなる。北の空模様を思いながらも片付かぬ目の前の紙の束を見た。

 お京と末吉がお茶を淹れて来た。指先も喉も胃袋も温まったところでこれから先の打ち合わせを始めようか。

 昨日に堀田様にお願いしたことがお認め頂ければ、引き続き志村殿にも昌永殿にも右仲殿にも協力を頂かねばならぬ。彼等三人のこれから先の生活の有り様にも掛かることだ。この思いを話さずばなるまい。

「ここに居る皆のこの先の有り様にも掛かること故、率直に話をさせて頂く。

 否(いや)、相談と言った方が良い。昨日(きのう)に堅田侯、堀田(正敦)様にお会いした。

 漂民が事の聞き取りをせよと言いしは御奉行、平賀様(平賀(ひらが)(よし)(のぶ))なれども、前にお二方にも話した通り御屋形様への奏上を仕切るは堀田様じゃ。

(聞き取りの)当初には思いもしていなかったが、吾は今に、漂流民の体験してきた事の一部始終、聞きし事を世間一般に知らせたいと思ようになっておる。その事を侯に率直に申し上げた。

 この江戸に多くの人が住んで居ようと、自分らの立つ所は地球と言う物ぞ、地球は丸い、丸い上に吾等は立っている。海の向こうには気候風土も違う五大洲がある、そこに言葉も考えも、肌の色も違う多くの人が住んで居ると知らぬ者とて多い。

 聞き取りが事は藩の秘中の秘に有る。だがここに至ってオロシヤとはいかなる国かと言うばかりではなく、吾等が国よりも天文、窮理、化学その他に遙か先に進んでいる国がある。(まつりごと)とて生活の有り様とて異国に学ぶべきことが多くあると世間一般、庶民に知らせたいのじゃ。

 国は琉球(りゅうきゅう)朝鮮(ちょうせん)(から)印度(いんど)和蘭(おらんだ)ばかりではない。考えの違う国々、島々がある。地球を語るに緯度も赤道も有ると、庶民の誰にも分り易く絵図付きが本にして出版したいと堀田様に願い出た」

 三人の顔が明らかに段々と真剣な顔になって行く。右仲は即座に賛成の顔だ。頷き、笑顔を見せる。

 あの時、堀田様は吾の突然の申し出に戸惑ったようでもあった。それゆえ、あのオロシヤから帰って来た大黒屋光太夫と磯吉の聞き取りに当たった兄とも慕う法眼様(幕府奥医師。桂川甫周(くに)(あきら))が事に触れてお話した。