「一人。居ります。今に御聖堂、昌平坂学問所に学ぶ吾の従弟に御座います。
実家が一関で、領内の磐井という所の代々大肝入りを勤める家柄に御座います。
父親(大槻清雄、専左衛門)が大肝入りに御座いましたが、四年前、享和二年(西暦一八〇二年)に鬼籍に入り、今は彼の兄(大槻清臣⦅かつて江戸に出ていた大槻丈作⦆)がその代を継いで御座います。
名は大槻民治で御座います。
十八(歳)になる寛政二年に仙台に出て藩の志村東蔵殿が所で儒学を学んでおりましたが、翌年の四月、師と仰ぐ志村殿ご自身がこの江戸に出るとて同道して仙台を後にして御座います。
民治が吾の所(家)を訪ね来たのは全く突然の事で驚きもしました。それからに、お許しを得て民治もまた昌平黌に入塾し、御聖堂の学寮に入って御座います。
堀田様ご承知のように、林家の私学、林塾の改革が進められていた時でも御座いました。
幕府の管理する塾と決まった後に、生徒は幕臣の子弟に限る、昌平坂学問所(通称、昌平黌)と改めるとされましたが、吾の語る民治は成績優秀と見做されて特別に残ることの出来た庶民三人のうちの一人に御座います。
今に生徒は武士の子弟に限らずと改められてその学生の面倒を見る舎監に有るばかりでなく、学頭、林述齋殿、寛政の三博士(芝野栗山、尾藤二洲、岡田寒泉(幕府の代官に転身)の後任、古賀精里)とも称される先生方の御支援もあって、凡そ半年前から学問所の教壇に立つ身となっております。
年齢は三十四、五(歳)になります」。
「それは良い情報じゃ。
藩の重だった者、何人かと相談しても見よう。
学制改革と有ればそれを耳にしただけで何かと異議を申し立てる者、騒ぎ立てる者が出る。
今日の事は暫く其方の耳だけにしておくが良い。
聞き取りの方の整理は如何かの?、
お殿様(藩主、伊達周宗)も漂流民がこの江戸を出た、仙台に向かったと承知しておる。
何時に奏上できるかの?」
「はい。三月ほど時を下され。五月も末、遅くとも六月が中には(奏上)出来るようにと、志村殿とも話しても御座います。
何分にも漂流民はオロシヤの事に限らず、吾らが思いもしていなかった国も島も多くに見ても、体験もして御座いました。
訪問した先々の国と島、その時と場所の気候風土等を知るに天文方の知識もまた必要とされている所に御座います」
「天文方の?」
「はい。今日に侯(堀田様)にお会い出来たは実に好都合で御座いました。
是非に天文方の高橋殿(高橋景保)にお許しを得て、間殿にお力添えをお願い致したき所に御座います。
侯が(御上の)天文方の管理者でも御座いますれば、不躾ながら是非ご配慮をお願い致したき事に御座います」
「うむ。博識の大槻玄沢をもってしても知り得ぬことが有ったかの。
良い。御安い御用じゃ。
其方は高橋殿も間殿が事も、前から知って居ったの?」
「はい。それ故、教えを頂くに実に都合が良いことかと思って御座います」