十二 最後の聞き取り
(二月)中旬まで聞き取りは続いた。今日で終わりだと告げて喜んだ三人は今頃に白河の関を越えもしたろうか。否、もっと先に進んでいようか。
まだまだ寒い今日この頃だ。北に向かう事なれば容易為らざる道中だ。一人一人に(聞き取りのお礼にと)どんぶく(綿入れの半纏)と養生が薬、風邪薬を幾つか持たせた。
陸奥は朝夕まだまだ厳しい寒さの中に有ろう。医者の端くれなれば風邪を引くなと印籠も、また薬箱も持たせた。
昌永等が用意してくれた替わりの肌着、足袋は道中幾つあっても良かろう。この時期、肌身を守る物が欲しいのは己の体験からも言える。
徒歩にある三人よりも太十郎が乗りし駕籠は如何なっていようか、無事に先に進んでいようかと心配にもなる。天候の事もあるが順調にいけばこの末には仙台に着くはずだ。
否、仙台に留まるは一休み。直ぐにもそれぞれの里に帰すと聞いても居れば、日足らずの月(如月、二月)と雖も末には寒風沢にも室浜にも辿り着くであろう。
(陸奥国宮城郡浦戸村寒風沢。現、塩竃市。津太夫と左平の故郷。同国桃生郡深谷室浜。現、塩竃市。儀兵衛と太十郎の故郷))
あの伊勢(伊勢国奄芸郡白子)の光太夫(大黒屋光太夫)達の生還は里を上げての大騒ぎに有ったと聞きもしておれば、三人、否四人が育ちもした里、島にどの様に迎えられるのかそれも気になる。
まずは道中無事に有れ。
「旦那様、お茶をお持ちしました」
「うん。入るが良い」
目の前の文机の上は紙の束だ。足周りも広げた紙で(足の)踏み場もない。
部屋を覗いたタホ(妻)は驚いた顔をした。
「(下)屋敷(愛宕下)にもまだまだ書き控えた物が置いてある。
末吉とこの屋敷に運んだ物だけでも整理せんと思いしに、この通りじゃ。
(二月)五日以降に聞きもした事どもの物が大概じゃが、それ以前の物も有る」
「お手伝いできることが御座いましょうか」
「いや、己とて思案している所ぞ。
触られて何処に行ったと後で探し回ることになるでの、己一人で整理するしか仕方の無い事よ。
それよりも、物の軽重も分からぬ六に(この部屋に)入られてかき混ぜられては困る。五三もまた暫くここ(この部屋)に近づかぬようにと言って呉れ。
お茶は床の間の端にでも置いて下がるが良い。
(お茶が)欲しい時には鈴を鳴らすでの。
また、腹が減ったら己から(この部屋を)出もする」
タホが足元を見ながら床の間に進み、湯飲みを置いて部屋を出て行くのさえ見守った。
さて、この控えた紙の山、広げた紙を如何しようか。志村殿との摺合わせに掛かる手間を少なくしようと思いしも、今更ながらに溜息が出る。
最後に聞きし事の順番通り、区分通りに並べた方が良いと思いもする。しかし、後になって日を替えて、前に戻って追加して聞きもした事とて多い。
・・・、やはり聞きし事の順番通り、区分ごとに整理した方が良かろう。追加したものも元は区分ごとの中なのだ・・・。
第一に質問したのはやはり生活の有り様だった。朝、昼、晩、飲食に見られもした味わいもした物は何だったのか、肉、魚、野菜が有ってもその料理の特徴は。普段の飲み物は何か、お茶はあったか?。
酒は有ったとしてその特徴は?。皆々何時、何時に飲むのか?、
それからに娯楽は如何に有ったかと聞きもした。
見たと言うオロシヤが踊り、楽器等についても質問した。
(参考図―早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「オロシヤの楽器」)
次に、普段に着て居る服飾はどの様に有ったのか、その特徴は。
また、婚礼、お産、赤子の命名から養育。耶蘇の教える祭礼、葬礼にお寺の特色を聞きもした。
また、聞きもすれば再度教えて呉れもしようかと思いながらに、オロシヤの距離の表し方、数量の表し方、秤等度量衡を光太夫殿に教えて貰いもした。
右仲が何度も漂流民三人に聞き、その都度書き直して絵図にした物を光太夫殿に点検して貰ったものとてある。
