暫しの沈黙の時になった。昌永が改めて吾に代わって聞きもした。

「レザノフ等オロシヤの軍船(ふね)は、何時に出帆したのかの?。分るか」

 津太夫が、首を縦にして応える。

「へえ、太十郎がごどもあった所為(せい)が、俺達(三人)は御奉行所の座敷(ざすぎ)牢みだいな(どご)(揚がり屋と呼ばれる未決囚を入れ置く場所)に押()込められでいま()た。

 十日も()た(経た)日で()た。昨日(文化二年三月十九日。(一八〇五年四月十八日))にオロシヤの船は(長崎を)出帆()たど、監視役(かんすやぐ)にあったお(がた)にお聞かせいただきやす(まし)た。それとでも本当は(俺達(おらだづ)に)秘密な(ごど)だったべが。

 レザノフ様の望んで居だ事がどれほどにお聞き入れられだのが、気になりも()ていだのっしゃ(です)。真っ直ぐカムチャッカに向がったとお聞き()て、やっぱす(り)江戸()ぎも将軍様拝謁も叶わながったのだと()りま()た。

 レザノフ様は本当に良い人ですたよ。船でも(おか)でも誰にでも(身分の)分け隔ての無ゃ(無い)人で()た。

 俺達(おらだづ)との別れの時、太十(郎)の身を心配()ても呉れだ()、三人、一人一人の肩を抱いで固く手を握りも()たのっしゃ(です)。

 涙を流()ながらに、『元気でな、よくぞ頑張った』と声を掛けで。『達者で暮らせよ』ど言葉を掛げられだ(どぎ)は三人が肩を揺すって泣いだのっしゃ(です)」

 黙ってはいられないと思ったか、左平が続けた。

(おら)はレザノフ様が言ったごどを、ちゃんと(しっかりと)覚えでいん(る)べ。

 日本人はあんなごど言わねゃ(ない)。オロシヤは耶蘇(キリスト)様、俺達(おらだづ)は仏様、だども(しかし)信心(すんじん)に差はねゃ(ない)ど思いますたよ。

 レザノフ様はこれ以上御国(日本)に何を言っても駄目だなと腹を(くく)っても居たんだべ。俺達との別れの時、

『本願が叶えば(オロシヤと日本との)船の往来もある。何時(いづ)にか会うごども出来ん(る)べ。だども(しかし)、(願い)叶わずオロシヤに帰んねゃば(なん)ねゃ(帰らねばならない)。帰れば何時(いづ)にまだ会うごども出来そうにねゃ(ない)。

 必ずや地下で()うべ(会おう)』

 そう言って足元の地面を踏みづげだのっしゃ(です)。

 身(身分)に大きな(つが)いが有んべども(有っても)、(おら)は思わずレザノフ様に取りすがって泣ぎもすま()たー。

 忘れるごど出来ねゃべ(忘れることなど出来無い事です)」。

 聞きながらに、確かにこの日本では考えも出来ぬことだと思いが行く。またまた暫しの沈黙の時になった。

 その後に、聞けば津太夫は、オロシヤの王様から拝領した日本の衣服(いふく)に身を包み、三人は徒歩(かち)、太十郎は駕籠(かご)で長崎も立山の御奉行所に至り、引き渡されたのだと言う。

 また、その日のうちに御白洲での取り調べが有った。踏み絵を踏まされた。箝口令(かんこうれい)を受け、(あが)()(未決囚の牢)に押し込められたと語った。

 オロシヤから持ち帰った物は如何(どう)したと聞けば、長持ちに入れるよう命じられ、封印されて(立山の)御奉行所に運ばれたのだと言う。

(身柄が長崎奉行所に引き渡される際、漂流民の一切の持ち物は没収されている。だが、後に書物、地図、金銀銅の外国銭を除き他の物は漂流民に返還されたと記録にある。

 その後、文化二年十月二十日、一八〇五年十二月十日に四人が仙台藩に引き渡された。その際に地図は返還され、外国銭については其れに見合う日本銭が支給されたとある)

「其方等の見てきた聞いて来たオロシヤを知る所で良い。教えて欲しいがの・・・、オロシヤの武力、軍事力・・・分るか」

 工藤様(工藤平(くどうへい)(すけ))にも法眼様(桂川(かつらがわ)()(しゅう))にも、また田沼様(田沼(たぬま)(おき)(つぐ))や越中侯(白河侯、(まつ)平定(だいらさだ)(のぶ))の世にも聞き、吾とて気になりもしていた蝦夷地開拓だ。それに関係してお役人様がずーっとオロシヤの動向を気にしていたのも(まこと)の事だろう。

 オロシヤの南下が江戸市中の噂にもなるに、その国力も軍備力も知らずに怯えていても仕方あるまい。漂流民と雖も凡そ十年もの間オロシヤに居たのだ、見て来たオロシヤを教えて貰う事が今のオロシヤを知るに一番と考えが回った。

「細かい(ごど)俺達(おらだづ)には分がんねゃ(分かりません)。

 んだども(しかし)、前にもお(はなす)()たとおりお(すろ)も立派。俺達が見でいる仙台のお城や江戸のお城から見だらはるがに()っきいお城だー。

 それを守る番兵と言うのが、兵隊さんが何時(いづ)でも(いくさ)に出られる格好(かっこう)(を)()てお城を守っでいん(る)べ。

 全員が手に鉄砲を()ず、(まず)高台(たかでゃ)、港の高台に置かれだ何ぼもの大砲(てゃほう)。それに大砲を積んだ軍船(ふね)とで大きかんべ。あの姿恰好を見れば何時でも戦が出来ん(る)のっしゃ(です)。(おら)が国どは何処に行っても(つが)っていますた。

 戦の()ゃ(ない)、平和な世の中を作り出()た権現様(徳川家康公)に感謝すれども、いざ御国と御国同士(どうす)(いくさ)に成ったら、前にも言いま()たがそれはそれは赤子の首を(ひね)るほどに俺達の方(日本)が負けもすんべ(するでしょう)。

 お白洲でも何処でも、御侍様の前では口が裂げでもこんな(ごど)言えねゃべ(言えないでしょう)」

 それ以上に聞く必要もなかろう。志村殿に一瞬目を遣ったが筆記に忙しい。昌永を見れば黙って首を縦に頷いた。

 右仲が卒なく要求した。

「お城の守りに付く番兵の恰好、姿を教えてくれ」

(早稲田大学図書館所蔵本、環海異聞に載る「お城を守る番兵」)