十 北辺探事

「先生。吾等の聞き取りし物はどの様になりますので?」

「吾は、幼い御屋形様(仙台藩主、伊達周宗、十歳)にも分かり易いようにと、字面(じつら)ばかりよりも絵図にすることをと考えもした。

 だが、今に彼らの世界一周を耳にもすればオロシヤが国力、軍備力ばかりではなく、地球上にこれほどの国がある、世界には未開の地もあれば吾が国よりも先を行く国が有るとこの江戸に、いや、日本(ひのもと)に住む多くの人々に知ってもらいたいとの思いがしておる。

 長崎の志筑殿(志筑忠雄)が言葉を借りればこの日本は鎖国にあるが、国々との交易が有ってこそ御国の発展、進歩があると(吾は)確信しておる。

 法眼様の奏上した物(「北槎聞(ほくさぶん)(りゃく)」)は御上の蔵の中。だが、秘中の秘とあっても、吾らが纏める物を何とか世に知らしめる物(書籍)にしたいと強く思いもしている。

 堅田侯(堀田正敦。幕府の若年寄。仙台藩主の後見人)に相談せずばなるまい。御上(幕府)の中に在って今に世の中を見ている御仁、世界を見てもいる御方(おかた)が幸いにも吾等の(そば)に居る。相談も出来よう。

 シャリ(気球船)を知っても、また、エジプト国の木乃伊(ミイラ)が如く臓器等を取り除いて生きているが如き人を造る、獣を復活させる(剥製)なども驚く物じゃろう。

世界は広い。物産、軍備、教育、医療等々で吾が国よりも発展をみている国がある。それを習わんがために、いずれ開国の世が来ると思わざるを得ない。

 吾が蘭語の入門書(蘭学(らんがく)階梯(かいてい)蘭学佩觽(らんがくはいけい))を讀むとて、また、オランダから(国に)入ってくる物産等を手にしたとて、和蘭(おらんだ)かぶれ、蘭僻(らんぺき)大名などと揶揄(やゆ)される御大名が増えもしているが、かえって幕府のお歴々に、世界を見よ、世界に学べと言いたくもなる。

 世界はオランダや唐(中国)、かつて往来の有ったポルトガルだけではない。

ご時世がご時世に有れば余り批判めいた言い方も出来んがの・・・。

 それにしても、レザノット(レザノフ。大槻玄沢は環海異聞に一貫してレザノットと表記)に対する幕府の対応は褒められたものではない」

「同感に御座います」

 すかさず昌永が同意する。

 志村殿が言う。

「明日には、今日の話にも御座いましたナデジダ号の修理が何時(いつ)に終わったのか、

 信牌を無視され江戸にも行けず、交易を認められないがままに帰国することになったレザノフが、当時、どの様に有ったのか。

 蝦夷地の今後の事も御座いますれば、是非にもお聞きしたい所に御座います」

「長崎のお取り調べが如何様(いかよう)に有ったのか。それもまた彼らにしっかりと聞かねばの。

 何とかこの月(如月(きさらぎ)、二月)の十日、二七夜(ふたななよ)(二週間)までに全ての聞き取りを終えねばと思っておる。彼等との約束を守らねばの。

 質問すること凡そ四十日にも成るか。(聞き取りを)終えても、奏上がための文面整理、点検も必要に御座る。

 その猶予期間は五月まで、凡そ三ヶ月と思っても居る。五月も末、あるいは六月早々にも一応の報告書を纏めねばなるまい。

 それまで昌永殿にも右仲殿にも引き続き世話をお掛けする。

宜しく協力を頼む」

「何を言われる。今や聞き取りが事は己が勉強に御座る。

 お陰様でオロシヤばかりか、吾もまた世界を一周した。思いもしていなかったことを多く知りもしました。

 第一、地球儀を飾り物にして置かずに済んだ。穴が開くほどに(地球儀を)見ることが出来た。それだけでも漂流した三人にも先生(玄沢)にも感謝、感謝です。

 松原殿(松原右仲)ほどに役立ちませなんだが、最期までお付き合いさせていただきます」

「山村様(山村昌永、山村才助)、それは御謙遜。謙遜。

 吾もまた、全く思いもしていなかったことを見聞させて頂いております。今でも胸の内はワクワクして御座います。

 この先も絵図にした方が良いと思う物が御座いましょう。是非にご協力させていただきます」

 藩が違うに、お二人には感謝しておる。

 泊まり込みもあったれば、吾の知らぬところで気を使うことも多く御座ったろう」

「先生、御気にし過ぎですよ。

 吾ら二人、感謝しているのですから先生が気を使う必要は御座いません」

 「(かたじけな)い。その言葉に今暫らく甘えさせて貰う。

 志村殿、今に奏上するが書の名を何としようかと思案しておる。

 調査が事を仰せ付かったのだから、その報告の書とあれば、探りし事と奏上するは最もな事か。

『北辺探事』としようかと思いもしているが、志村殿もお二人もどの様に思うかの?」

「はい。吾もまた朧気(おぼろげ)ながらやっとに先が見えて来たかと思いながら、何時までにこの報告書を纏めるのか、奏上するのは何時か、

 お殿様に御覧頂く前に誰と誰に先に見て貰った方が良いのか、御意見を賜った方が良いのかと少しばかり気になってもいた所で御座います。

 『北辺探事』と言うは、成程、奏上するに良き名とも思います。

 吾は、賛成に御座います」

 昌永も右仲も、首を縦に頷いた。

「良し。取り合えず、『北辺探事』としよう。

 今日の明日に決めなければならぬ事でも無ければ、外に良い名(案)が浮かんだら誰とてお聞かせ下され」

 

[付記]:2月21日(土)、小生の51回目の結婚記念日でした。当日は、町会の健康マージャン開催日で、ボランティア方々20年振りにジャン牌を握り、参加し、夕方に老妻の手作り海苔巻きの寿司に安物のワインで乾杯。

 

    テレビを見ていたら、春節真っ最中で横浜の中華街で獅子舞等のパレード等が有ったとの事。三連休の最終日23日に、急遽中華街で食事しに行こうかとなりました。過去にも3,4度行っても居ますが、行くなら、見た事も無い中国の獅子舞、変面ショーを観れないかとイベントカレンダーをチエック。

 

 有りました、中華街の中に有る「山下町公園」で、当日午後1時、2時半、4時からの3回、獅子舞、変面ショー等があるとの事。但し有料、立見席は無料と有り、チケットは完売の表示。

 

 それでも行こうと老妻は張り切っています。最寄り駅の小手指駅から元町・中華街まで乗り換え無し、所要1時間23分、片道1141円。引っ越してきて半世紀、片田舎の無人駅にも近かった小手指駅でしたが、今は陸橋式の階上改札。おまけに、鉄道交通が実に便利になってデズニーランドに行くにも、銀座に行くにも、渋谷に行くにも乗り換え無し。

 

 23日、好天。10時前に到着して中華街を冷やかしてそぞろ歩き。関帝廟にお参り方々公園の位置を確認して、立見席も混雑するだろうと早めの昼食。北京ダックに、ふかひれ付のコース料理を奮発して1時間余を堪能。

 

 いやー、お店を出たら途端に人混み。大混雑です。慌てて公園に行ってみたら1時間近くも前なのに立見席も人、人。獅子舞等が始まる前に、地元中学生によるパフォーマンス付きの吹奏楽演奏をしているのでした。それから途切れず、普段、気功をしている人たちの演技披露、中国楽器の演奏等が有ってそのまま本番の獅子舞等でした。幸い、背の低い老妻を前にして見物するに一角を確保。

 

 お凡そ2時間の立見は、正直、草臥れました。でも初めて見た獅子舞に大満足です。残念だったのは変面ショーが最初の時間の演目に組み込まれていなかったことでした。

 中華街の中の喫茶店で一休み、熱いコーヒーと水で喉を潤し、老妻の少しばかりの御土産菓子の買い物に付き合い、帰りの電車の中はズーッと船を漕いでいました。

 

 夕食には早いと、着いた地元の駅の側に在るスーパーで夕食用に天プラ弁当を二つ買いました。疲れているであろう老妻もそれで手を抜けるはず。後は、自分が何時も通りお風呂の準備か、と思いながらの帰宅でした。

 一日が早くもあった日でした。素人撮影故に画像がぶれても居ますが、眼にしたものの中から良いものを選んで登載します。