九 耶蘇に(あら)ざれば

 己が部屋に戻ったばかりに、心得たものでお京が御茶を淹れて来た。

 右仲と志村殿の挨拶を受けたばかりなれば、そのまま吾の机周りに昌永共々三人が居座る。

 疑問に思っても居たらしく、昌永が聞く。

「先ほど、光太夫殿は新蔵と言う者もオロシヤに残ったと話されました。

 あれほど皆が日本に帰りたいと切望していたに、何故新蔵殿は耶蘇に改宗したのでしょうか。

 何か御座いましたか?」

 先の仔細分からずも、右仲も志村殿も聞きたいと追随する。

 話が長くも成るかと、各自に己のお茶を持って来るが良いと指示した。

 三人は、湯飲みを手に囲みを作る。

「光太夫殿はオロシヤの冬は実に厳しいと言ったの。

 津太夫殿等が応えにも再三そのように有った。

 オロシヤの長旅は冬に掛かる。頼りになるは(そり)と馬とも覚えて居よう。

橇を引く馬が倒れればその死骸(しがい)は野に捨てられる。獣たちの餌になるとも耳にした。

 恐ろしい事に、オロシヤでは人間の遺体もまた野に捨てられる、獣たちの餌になることがあるのだそうだ」

 明らかに驚き顔をしたは右仲だ。

「光太夫殿達、神昌丸に乗っていて遭難したは十七人。

 若宮丸同様、流れ着いたは北国の島。

 光太夫殿に聞きもしたのはアミシャッカ(アムチトカ)という島だった。

そこでの生活が長くもなったれば、寒さと飢えで次々に死人が出たと言う。

 出会った狩人と船に助けられて、オロシヤの本土、オホーツクを経てイルクーツクに着くまでに都合六年を要したそうだ。

 その間に、寒さと栄養失調、病気で十一人が亡くなりもしたとも聞いた。

残る六人のうちの一人に庄蔵と言う者が居っての、庄蔵は重度の凍傷に(かか)り着いたイルクーツクの病院という所で、小石川の養生所みたいな所で左足を切断しておる。その後に療養生活だ。

 光太夫殿はオロシヤの王様や大臣等とも親交のあるキリロ・ラクスマンと言う物知りの鉱物学者と知り合い、その手配、案内を受けて、帰国の願いを王様に聞いて頂くためペテルブルグに向かった。オロシヤの当時の王様はエカテリーナと言う女王だ。

 光太夫殿がイルクーツクを発って間もなくに、それまでの長旅で体調を崩していた九右衛門(伊勢(いせの)(くに)若松村(わかまつむら)出身、水主)と言う者が死んだのだそうだ。

 傍に在ったは小市、磯吉、新蔵だった。三人が九右衛門の葬儀を行うは当然の事。だが、(おり)(あし)く小市に磯吉が風邪で熱を出した。床を離れられない程の重度だったらしい。溜まりに溜った疲れもあったのかの。

 九右衛門が葬儀は、結局、新蔵が一人でしなければならなかったと聞いた。

(新蔵が)教会に相談すると、異国の者であろうと構わないが、耶蘇の信徒に無い者の葬儀も埋葬もここでは出来ないと断られたそうだ。

 読経(どきょう)が事は兎も角に、遺体を野外に埋葬するしか方法は無かった。

 時期が時期だけに何処もかしこも分厚い雪と氷に覆われたオロシヤだ。固くもなった土地に穴を掘るのは不可能だった。

 新蔵は、(ねんご)ろにしていた鍛冶屋(かじや)親父(おやじ)から(そり)を借りて原野に向かい、寝具に包んだまま九右衛門が遺体を置いてくるしかなかった、合唱してその場を離れるしかなかったと、後に涙ながらに光太夫殿に語ったらしい。

 春先にその遺体は飢えた狼や熊など獣たちに食い散らされる。橇を引く馬と同じ目にあうのだ。

 耶蘇の信徒に非ざれば人間もまた(けもの)たちの餌になる。それを思うとぞっと(・・・)した。故に洗礼を受けたと新蔵は語った。光太夫殿に聞かせて頂いた事よ。

 光太夫殿は、聞いて泣くに泣けなかった、涙が出ませんでしたと言っておった。

 オロシヤの冬は吾等の想像も付かない程の雪と氷の世界だと言った光太夫の言葉は確かだ」

 目の前の三人は黙ったまま頷いた。

「さて、今日も宜しくな」

気持ちを変えんがための言葉を、敢えてした。