「今度に来た親日使節レザノフは、御上(徳川幕府)がかつてアダム・ラクスマンに与えた信牌を携えて来た。
信牌の事は光太夫殿も知って御座ろう?」
「はい。松平定信様の世で御座いましたな。
信牌を与えた。次に来た時にはオロシヤとの交易が始まると世間の噂にもなりました。それで帰国させたと、法眼様にそっと教え頂いた事でも御座いました」
「それでこの先、交易となれば問題も無かったろう。
だが、御上はレザノフ等を半年近くも長崎に放っておいて、交易は認められぬと言って帰国させた。
否、(オロシヤに)追い払ったと言っても過言では無い。
オロシヤが怒って今に北国の島々を襲っていると風聞を耳にするが、蝦夷は遠く離れてもあればどれもこれも真の事か如何かはっきりとせぬ。
御上が今となって一番に知りたいのは、交易が事よりもオロシヤの軍事力であろう。
何時の世もそうだが、御上は事が起きて後になって言い訳をする、心配もする。
オロシヤの報復行為に戦々恐々のようだ。
光太夫殿はオロシヤの軍事力について何ぞ見たこと、知って居る事とて有るかの?、
御上が(番町の)御薬園が内に光太夫殿等を据え置いたはこの日のためであろう。
吾とて(仙台藩が)漂流民の聞き取り(調査)を仰せ付かって居るが、事の経緯だけを報告すれば良いとは思って居ない。
(オロシヤが事で)知っている所でお聞きしたい」
「何のための信牌だったのでしょうか?
お聞きしている限りオロシヤが攻めてくる、武力で以って交易を望んでくる。
その懸念は十分に御座います。
博学であったキリロ、ラクスマン様の教えです。葡萄牙も和蘭も英吉利も西班牙も仏蘭西も、つまり欧羅巴各国にオロシヤは莫大な財を成したイタリヤもフィレンツエの海洋貿易に倣い、他所の国との交易拡大を常に目論んでいるとの事でした。
それに併せて各国が海路に係る天文、科学の発展を競い、鉄砲、大砲に軍船、海軍、つまり軍事力を強化してきたと言っておりました。
日本は殻に籠っていてもいずれ国を開くようになる、国益を追求する各国の渦中に日本も引き込まれるだろうとの事でした。
大槻様も山村様も御存知の通り、伯多琭蒲尓孤も莫斯哥未亜(モスクワ)も地球儀に見るように西側に在ります。されど、オロシヤの領地はどんどん東に拡大しているのです。科学の知識拡大等に併せて訓練を積んだ人間からなる兵力、新鋭の軍隊がお国に整備されて御座います。
幾つもの大砲を積んだ軍船に、何人もの訓練を積んだ人間が乗るのです。当時にも、海軍と聞きました。
長く戦の無い島国日本に在れば、いざという時に一溜まりもないと思います。
約束事を守らずに追い返したとあればやがて何等かの報復が御座いましょう。
力で交易を迫っても来ましょう。
大いに心配になります」
「政に在れば、御上が何を考えているのか良く分からん」
光太夫殿が語るに、そう応えるのが精一杯だ。